- 巻1-34 (未)
- 巻1-63 いざ子どもはやく日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
- 巻2-145 天翔りあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ
- 巻3-337 憶良らは今は罷らむ子泣くらむその彼の母も吾を待つらむぞ
- 巻5-794 大君の遠の朝廷としらぬひ筑紫の国に泣く子なす・・・(長歌)
- 巻5-795 家に行きて如何にか吾がせむ枕づく妻屋さぶしく思ほゆべしも
- 巻5-796 愛しきよしかくのみからに慕ひ来し妹が情の術もすべなさ
- 巻5-797 悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを
- 巻5-798 妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
- 巻5-799 大野山霧たちわたる我が嘆く息嘯の風に霧たちわたる
- 巻5-800 父母を見れば貴し妻子見ればめぐし愛し世間は・・・(長歌)
- 巻5-801 ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに
- 巻5-802 瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ何処より・・・(長歌)
- 巻5-803 銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも
- 巻5-804 世の中のすべなきものは年月は流るるごとしとり続き・・・(長歌)
- 巻5-805 常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも
- 巻5-813 かけまくはあやに畏し足日女神の命韓国を・・・(長歌)
- 巻5-814 天地のともに久しく言ひ継げとこの奇し御魂敷かしけらしも
- 巻5-818 春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さむ
- 巻5-868 松浦がた佐用姫の児が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
- 巻5-869 足日女神の命の魚釣らすとみ立たしせりし石を誰れ見き
- 巻5-870 百日しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来なむを何か障れる
- 巻5-876 天飛ぶや鳥にもがもや都まで送り申して飛び帰るもの
- 巻5-877 人もねのうらぶれ居るに龍田山御馬近づかば忘らしなむか
- 巻5-878 言ひつつも後こそ知らめとのしくも寂しけめやも君いまさずして
- 巻5-879 万代にいましたまひて天の下奏したまはね朝廷去らずて
- 巻5-880 天離る鄙に五年住まひつつ都のてぶり忘らえにけり
- 巻5-881 かくのみや息づき居らむあらたまの来経行く年の限り知らずて
- 巻5-882 我が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げたまはね
- 巻5-886 うち日さす宮へ上るとたらちしや母が手離れ常知らぬ・・・(長歌)
- 巻5-887 たらちしの母が目見ずておほほしく何方向きてか吾が別るらむ
- 巻5-888 常知らぬ道の長手をくれぐれと如何にか行かむ糧米は無しに
- 巻5-889 家に在りて母がとり見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも
- 巻5-890 出でて行きし日を数へつつ今日今日と吾を待たすらむ父母らはも
- 巻5-891 一世にはニ遍見えぬ父母を置きてや長く吾が別れなむ
- 巻5-892 風まじり雨降る夜の雨まじり雪降る夜は術もなく・・・(長歌)
- 巻5-893 世のなかを憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
- 巻5-894 神代より言ひ伝て来らくそらみつ大和の国は・・・(長歌)
- 巻5-895 大伴の御津の松原かき掃きて我れ立ち待たむ早帰りませ
- 巻5-896 難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ
- 巻5-897 たまきはるうちの限りは平らけく安くもあらむを事もなく・・・(長歌)
- 巻5-898 慰むる心はなしに雲隠り鳴き往く鳥の哭のみし泣かゆ
- 巻5-899 術もなく苦しくあれば出で走り去ななと思へど児等に障りぬ
- 巻5-900 富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも
- 巻5-901 荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべをなみ
- 巻5-902 (未)
- 巻5-903 (未)
- 巻5-904 世の人の貴び願ふ七種の宝も我は何為むに・・・(長歌)
- 巻5-905 若ければ道行き知らじ幣はせむ黄泉の使負ひて通らせ
- 巻5-906 布施置きてわれは乞ひ祈む欺かず直に率去きて天路知らしめ
- 巻6-978 士やも空しくあるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして
- 巻8-1518 天の川相向き立ちてわが恋ひし君来ますなり紐解き設けな
- 巻8-1519 久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ
- 巻8-1520 彦星は織女と天地の別れし時ゆいなむしろ・・・(長歌)
- 巻8-1521 風雲は二つの岸に通へども我が遠妻の言ぞ通はぬ
- 巻8-1522 たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまた術なき
- 巻8-1523 (未)
- 巻8-1524 (未)
- 巻8-1525 (未)
- 巻8-1526 (未)
- 巻8-1527 (未)
- 巻8-1528 (未)
- 巻8-1529 (未)
- 巻8-1537 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
- 巻8-1538 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
- 巻9-1716 白波の浜松の木の手向草幾代までにか年は経ぬらむ
- 巻16-3860 大君の遣はさなくにさかしらに行きし荒雄ら沖に袖振る
- 巻16-3861 荒雄らを来むか来じかと飯盛りて門に出で立ち待てど来まさず
- 巻16-3862 志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ
- 巻16-3863 荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか
- 巻16-3864 官こそさしても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る
- 巻16-3865 荒雄らは妻子が業をば思はずろ年の八年を待てど来まさず
- 巻16-3866 沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良の崎守早く告げこそ
- 巻16-3867 沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎廻みて漕ぎ来と聞こえ来ぬかも
- 巻16-3868 沖行くや赤ら小舟につと遣らばけだし人見て開き見むかも
- 巻16-3869 大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも
奈良初期の官人・歌人(660~733年ころ)。701年(文武5年)遣唐少録として名を記録されたのが『続日本紀』の初出で,このとき 42歳で無位であった。716年(霊亀2年)伯耆守、721年(養老5年)東宮(のちの聖武天皇) 侍講となり、この頃、歌集『類聚歌林』を編纂したとされるが現存しない。725年(神亀2年)頃筑前守となり、大宰帥として赴任してきた大伴旅人らとともに盛んな作歌活動をし、いわゆる筑紫歌壇を形成した。『万葉集』には長歌約 10首、短歌約 50~80首、旋頭歌1首があるが、彼の作とする歌の範囲については説が分れている。ほかに漢詩2首、漢文数編が収められている。『貧窮問答歌』に代表される、社会や人生の問題を題材とした、思想性に富んだ歌に特色がある。