- 巻3-315 み吉野の吉野の宮は山柄し貴くあらし川柄し・・・(長歌)
- 巻3-316 昔見し象の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも
- 巻3-331 わが盛また変若めやもほとほとに奈良の都を見ずかなりけむ
- 巻3-332 わが命も常にあらぬか昔見し象の小河を行きて見むため
- 巻3-333 浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも
- 巻3-334 忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
- 巻3-335 わが行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にあらぬかも
- 巻3-338 験なきもの思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし
- 巻3-339 酒の名を聖と負せし古の大き聖の言の宜しさ
- 巻3-340 古の七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし
- 巻3-341 賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするし優りたるらし
- 巻3-342 言はむすべ為むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし
- 巻3-343 なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ
- 巻3-344 あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
- 巻3-345 価なき宝といふとも一杯の濁れる酒にあにまさめやも
- 巻3-346 夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあに及かめやも
- 巻3-347 世間の遊びの道に冷しくは酔ひ泣きするにあるべくあるらし
- 巻3-348 この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ
- 巻3-349 生ける者つひにも死ぬるものにあれば今ある間は楽しくをあらな
- 巻3-350 黙然居りて賢しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほ如かずけり
- 巻3-438 愛しき人のまきてし敷妙のわが手枕をまく人あらめや
- 巻3-439 帰るべく時はなりけり都にて誰が手本をか我が枕かむ
- 巻3-440 都なる荒れたる家にひとり寝ば旅にまさりて苦しかるべし
- 巻3-446 吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき
- 巻3-447 鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも
- 巻3-448 磯の上に根這ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか
- 巻3-449 妹と来し敏馬の崎を還るさに独りし見れば涙ぐましも
- 巻3-450 行くさにはふたり我が見しこの崎をひとり過ぐれば心悲しも
- 巻3-451 人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しくありけり
- 巻3-452 妹として二人作りしわが山斎は木高く繁くなりにけるかも
- 巻3-453 我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る
- 巻4-555 君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まむ友なしにして
- 巻4-574 ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山の方にしあるらし
- 巻4-575 草香江の入江にあさる蘆鶴のあなたづたづし友なしにして
- 巻4-577 我が衣人にな着せそ網引する難波壮士の手には触るとも
- 巻5-793 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
- 巻5-806 龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来むため
- 巻5-807 うつつには逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ
- 巻5-810 いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ
- 巻5-811 言問はぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
- 巻5-822 わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
- 巻5-847 我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも
- 巻5-848 雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我が身また変若ぬべし
- 巻5-849 残りたる雪にまじれる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも
- 巻5-850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
- 巻5-851 我がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
- 巻5-852 梅の花夢に語らくみやびたる花と我思ふ酒に浮かべこそ
- 巻5-853 あさりする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人の子と
- 巻5-854 玉島のこの川上に家はあれど君をやさしみ表はさずありき
- 巻5-855 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ
- 巻5-856 松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家路知らずも
- 巻5-857 遠つ人松浦の川に若鮎釣る妹が手本を我こそまかめ
- 巻5-871 遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名
- 巻5-872 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上に領巾を振りけむ
- 巻5-873 万世に語り継げとしこの岳に領巾振りけらし松浦佐用姫
- 巻5-874 海原の沖行く船を帰れとか領布振らしけむ松浦佐用姫
- 巻5-875 ゆく船を振り留みかね如何ばかり恋しくありけむ松浦佐用姫
- 巻6-956 やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ
- 巻6-957 いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜摘みてむ
- 巻6-960 隼人の湍門の磐も年魚走る吉野の滝になほ及かずけり
- 巻6-961 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
- 巻6-967 倭道の吉備の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思ほえむかも
- 巻6-968 大夫と思へる吾や水茎の水城のうへに涕拭はむ
- 巻6-969 須臾も行きて見てしか神名火の淵は浅せにて瀬にかなるらむ
- 巻6-970 指進の栗栖の小野の萩の花散らむ時にし行きて手向けむ
- 巻8-1473 橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
- 巻8-1541 我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿
- 巻8-1542 我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも
- 巻8-1639 沫雪のほどろほどろに降り敷しけば奈良の都し思ほゆるかも
- 巻8-1640 我が岡に盛りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも
奈良時代の政治家(665年~731年)。父は安麻呂、母は巨勢郎女で、家持の父。710年(和銅3年)1月、左将軍正五位をもって『続日本紀』に初めて名があらわれ、718年(養老2年)3月に中納言に任命される。720年3月、征隼人持節大将軍となり、隼人の乱を平定。神亀年間(724年~729年)に大宰帥となって妻子を伴い筑紫に下るが、着任後ほどなく妻の大伴郎女を亡くした。また、当地では山上憶良や僧満誓と交遊し、筑紫歌壇の中心をなした。のち730年秋に大納言に任ぜられ、同年12月に大宰府を去って帰京。731年1月従二位となるが、半年後に67歳で死去。『万葉集』には、筑紫時代を中心とする歌70首余(異説あり)がある。