大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

志貴皇子の歌(索引)

  1. 巻1-51    采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
  2. 巻1-64   葦べ行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ
  3. 巻3-267 むささびは木ぬれ求むとあしひきの山の猟夫にあひにけるかも
  4. 巻4-513 大原のこの市柴の何時しかと我が思ふ妹に今夜逢へるかも
  5. 巻8-1418 石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも
  6. 巻8-1466 神奈備の磐瀬の杜の霍公鳥毛無の岳に何時か来鳴かむ

 

志貴皇子

 天智天皇の第7皇子(生年未詳、没年は715年または716年)。柿本人麻呂と同時期の人で、湯原王、白壁王らの父。藤原京時代の天武朝ではすでに成年に達していたとみられ、天武8年(679年)5月に、吉野宮における有力皇子の盟約に参加している。続く持統朝では不遇であったらしく、撰善言司(よきことえらぶつかさ)に任じられたほか要職にはついていない。しかし、皇子の薨去から50年以上を経た宝亀元年(770年)、息子の白壁王(しらかべのおおきみ)が62歳で即位し光仁天皇となって天智系が復活したのに伴い、春日宮御宇天皇(かすがのみやにあめのしたしらしめすすめらみこと)と追尊、また田原天皇とも称されるようになった。『万葉集』には短歌6首を残し、流麗明快で新鮮な感覚の歌風は高く評価されている。

『万葉集』主な歌人の歌(索引)