大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

来るの?来ないの?・・・巻第11-2640

訓読 >>>

梓弓(あづさゆみ)引きみ緩(ゆる)へみ来(こ)ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを

 

要旨 >>>

梓弓を引いたり緩めたりするようにやたら気をもませて。来ないなら来ない、来るなら来るとはっきりしてちょうだい。それを何ですか、来るだの来ないとか。

 

鑑賞 >>>

 「梓弓」は、アズサの木で作られた弓で、上代に、狩猟、神事などに用いられました。ここでは「引き」の枕詞として使われています。歌は、女が、煮え切らない男に激しく怒っています。

 なお、作者未詳歌についてですが、『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、実に2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、国家機構の整備にともなって増加した官人たちや、その生活を支える庶民たちに広まり、やがて各地に波及していきました。7世紀末に造営された藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が営まれるようになると、機内の国々を中心に、その他の地域からも多くの人々が都に集まり、また各地との往来も盛んになりました。このため、宮廷社会に始まった和歌は、中・下級官人たちや庶民へと急速に広まっていきましたが、その時期は7世紀末~8世紀、とくに奈良朝の時代です。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半が中・下級官人たちや都市周辺部の庶民たちの歌とみることができ、地名などからみて機内圏のものであることがわかります。

 

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