訓読 >>>
802
瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ 何処(いづく)より 来(きた)りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ
803
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも
要旨 >>>
〈802〉瓜を食べると子どもが思い出される。栗を食べるとまして偲ばれる。いったいどこからわが子として生まれてきたのか。目の前にしきりに面影がちらついて、ぐっすり眠らせてくれない。
〈803〉銀も黄金も玉も、いったい何になるというのか、そんな勝れた宝でさえ、子どもに及ぶものがあろうか。
鑑賞 >>>
山上憶良が、離れて暮らす子どもらを思い詠んだ長歌と反歌です。この歌の前には、次の意の序文が付いています。
「釈迦如来がその貴いお口で正に説かれたのには、『等しくあらゆる生き物をいつくしみ思うことは、わが子を思うのと同じである』。また、『愛は子に対する愛に勝るものはない』ともおっしゃった。この上ない大聖人ですらわが子を愛する心がある。まして世の中の人々のなかに、誰が子を愛さない者があろうか」
802の「瓜」は、まくわうり。「子ども」の「ども」は、複数を表す接尾語。「眼交」は、眼前。「もとな」は、しきりに、わけもなく。瓜や栗は子供の好物だったとみえ、口にする度に子供が思われて仕方がないといっています。803の「何せむに」は、何になろうか。「及かめやも」の「やも」は反語で、及ぶだろうか、及びはしない。
『万葉集』の中で、男親が子の愛おしさを詠んでいるのは、憶良ただ一人であり、作家の田辺聖子は次のように述べています。「憶良は七十で幼児をうたった作品が多いので、これは象徴的にいっているのか、知人に成り代わって歌ったのか、孫のことか、などともいわれているが、私の想像では彼は筑紫でか、またはそれ以前、都にいたときに若い妻を持ったのではないかと思われる。自身が若いころの最初の妻には子ができなかったのかもしれない。老年になってはじめて得た子であればその愛執はいよいよ深いであろうではないか。老い病みて、なお成人しない幼い子ら何人かを抱えたればこそ、彼の『沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)』の凄絶な苦悩が推しはかられる気がする」