大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東の野に炎立つ見えて・・・巻第1-48

訓読 >>>

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)立つ見えてかへり見すれば月 傾(かたぶ)きぬ

 

要旨 >>>

東の野にあけぼのの茜色が見え始め、振り返ってみると、もう月が傾きかけている。

 

鑑賞 >>>

 柿本人麻呂の作で、亡くなった草壁皇子(くさかべのみこ)の追憶と、その息子の軽皇子(かるのみこ)の前途を賛美する長歌の後に添えられた反歌5首のうちの1首です。とても有名な歌ですね。

 草壁皇子は、皇位継承者として天武・持統天皇に期待されながら、689年、28歳の若さで他界しました。後に文武天皇となる軽皇子はこの時まだ10歳。持統天皇が即位したのは、軽皇子皇位を継がせるまでの中継ぎ的なものでした。

 歌の真意は、沈む月を逝去した草壁皇子に喩え、昇る朝日を息子の軽皇子に喩えているといわれます。また、「東野炎立所見而反見為者月西渡」と書かれているこの歌の訓は長らく定まらず、「東野(あづまの)のけぶりの立てるところ見て・・・」などと読まれていたようです。それを上掲のように読んだのは、人麻呂の時代から1000年も下った江戸時代中期の国学者賀茂真淵だとされます。当時は無謀だとか大胆だとかの批判もあったようですが、それを現在のように定着するに至らしめた真淵の功績とその影響力は大です。

 しかしながら、『万葉集』の他の歌や『古事記』に見える「かぎろひ」はすべて春の陽炎(かげろう)を示す言葉であり、日の光を意味する例が一つもないことから、やはり真淵の読解にはかなりの無理があるようです。そうすると、ここはあくまで「けぶり」が「立つ」のであり、御狩に来ているとあるのだから、狩猟の烽火(のろし)、焼き狩りの煙が立つさまをうたっていることになります。

 

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