訓読 >>>
3786
春さらばかざしにせむと我(あ)が思(おも)ひし桜の花は散り行けるかも
3787
妹(いも)が名にかけたる桜花 散(ち)らば常(つね)にや恋ひむいや年のはに
要旨 >>>
〈3786〉春になったら、髪飾りにしようと思っていた、桜の花は散ってしまった。
〈3787〉あの子の名を思い起こす桜の花が咲いたなら、いつも恋しさに堪えきれないだろう、年がくるたびに。
鑑賞 >>>
悲劇の乙女「桜児(さくらこ)」を歌った歌です。序文には次のような説明があります。
―― 昔、一人の娘子(おとめ)がいた。字(あざな)を桜児といった。二人の若者が、共に桜児に結婚を求めたことから、殴り合って死をも恐れぬ争いとなった。それを見た桜児はすすり泣きながら言った。「昔から今に至るまで 一人の女の身で二人の男に嫁ぐなど聞いたことも見たこともありません。もうあの人たちを仲直りさせることはできない。私が死んで二人が傷つけ合うのを止めるしかありません」と。そして林の中に深く分け入り、首を吊って死んでしまった。
二人の若者は悲しみをこらえきれず、溢れる血の涙を衣の襟に流した。そして、それぞれが思いを述べて歌を作った。――
3786の「春さらば」は、春になったら。「かざしにせむと」は、妻にすることの譬え。「桜」は、桜児の名を掛けており、「散りにけるかも」は、その死を喩えたもの。3787の「名にかけたる」は、名と関係した、名を負い持った。「いや」は、いよいよ。「年のは」は、毎年の意の熟語。
いずれの歌も、歌だけ読めば叙景の歌のようですが、「題詞」に「由縁」となる物語を記述し、その登場人物の歌を併せて収録している、すなわち「題詞(由縁)」+「歌」で一つの歌物語をなす形になっています。また、『万葉集』にはこの伝説がどこの地のものとは書かれていませんが、畝傍山の東北方にある娘子塚に関係しているといわれます。ただ、ここでは、叙景の歌が先にあって、それに合う物語があとから付加されたのだろうと考えられています。