大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

安積山、影さへ見ゆる・・・巻第16-3807

訓読 >>>

安積山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を我(わ)が思はなくに

 

要旨 >>>

安積山の姿をも映す澄んだ山の泉、その安積山の泉のような浅い思いで私は慕っているのではないのです。

 

鑑賞 >>>

 この歌には次のような言い伝えがあります。

 葛城王(かずらきのおおきみ、のちの橘諸兄)が陸奥国に派遣せされたとき、国司の接待の方法があまりにもいい加減だった。王は不快に思って怒りを顔にあらわし、せっかくのご馳走にも手をつけない。その時、かつて采女(うねめ)を務めていた女性がそばに仕えていて、左手に盃を捧げ、右手に水を入れた瓶を持ち、その水瓶で王の膝をたたいてこの歌を詠唱した。それで王はすっかり機嫌がよくなり、終日酒を飲んで楽しく過ごしたという。
 
 「采女」は天皇のそばで日常の雑務に奉仕した女官のことです。この時の元采女の動作がどのようなものであったかは判然としませんが、そのあとにこの歌を詠んだ一連の行為は、風流を解する王を満足させるに十分な「わざ」だったか、あるいは舞の所作だったのかもしれません。水瓶で王の膝をたたいたというのもかなり大胆な行為で、単なる媚態とも思えませんが、如何。

 なお、この歌は『古今集』の序に「歌の母」として掲げられており、和歌を習う人が最初に習ったとされる歌です。葛城王に酒を捧げながらこの歌を奉った女性は、安積山あたりの、今でいえば福島県の豪族の娘で、容姿端麗のゆえに宮中に出仕した経験があり、即席に和歌を詠むこともできました。とはいうものの、いわば田舎出身の女官の作が、歌の「母」として採り上げられていることには驚きます。まさに日本人が「和歌の前に平等」との原理を受け継いできた所以であるともいえましょう。

 また、特に秀歌とはいえないこの歌が古代において別格の尊敬を受けていた理由について、渡部昇一氏は「われわれの先祖は、今日とは違った和歌の評価の仕方を持っていた」として、次のように解説しています。

「こんにちでは、和歌を評価するとき、主として美的見地からのみ見る。美的感興を起こさせるものであれば、いい和歌である。ところが昔の人には言霊という信仰があるから、いい歌とはその結果がよかったという歌になるのである。文学の評価法が結果論的であるというのはおそらく日本独特の方法といってもよいかもしれないが、それは純粋に文学というよりは、呪術的・宗教的要素を含む文学様式だからであろう」

 

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