大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

人は古りゆく・・・巻第10-1884~1885

訓読 >>>

1884
冬過ぎて春し来(きた)れば年月(としつき)は新たなれども人は古(ふ)りゆく

1885
物(もの)皆(みな)は新たしきよしただしくも人は古(ふ)りにしよろしかるべし

 

要旨 >>>

〈1884〉冬が過ぎて春がやってくると、年月は新しくなるけれども、人は古くなっていく。

〈1885〉物というものはみな新しいものがよいが、人は古くなるのがよろしかろうぞ。

 

鑑賞 >>>

 「老いを嘆く」とある2首。1884では、年は新しくなっても人間は古くなっていきますね、と歌い、1885では、いやいや物のほうは新しいのがよいが、人間は古くなっていくのがいいんだ、と否定しています。

 これらの歌から想起するのが、中国初唐の詩人、劉廷芝(りゅうていし)の『代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わって)』にある「年々年歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」の一節であります。来る年も来る年も、花は同じように咲いているが、それを見る人は同じではない・・・。

 

作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

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