大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

沫雪降れり庭もほどろに・・・巻第10-2320~2324

訓読 >>>

2320
我(わ)が袖(そで)に降りつる雪も流れ行きて妹(いも)が手本(たもと)にい行き触(ふ)れぬか

2321
淡雪(あわゆき)は今日(けふ)はな降りそ白栲(しろたへ)の袖(そで)まき干(ほ)さむ人もあらなくに

2322
はなはだも降らぬ雪ゆゑこちたくも天(あま)つみ空は雲(くも)らひにつつ

2323
わが背子(せこ)を今か今かと出(い)で見れば沫雪(あわゆき)降れり庭もほどろに

2324
あしひきの山に白きは我(わ)が宿(やど)に昨日(きのふ)の夕(ゆふへ)降りし雪かも

 

要旨 >>>

〈2320〉私の着物の袖に雪がふりかかってきたが、この雪が空を流れていって、あの子の手首に触れてくれないだろうか。

〈2321〉淡雪よ今日は降らないでくれ。この真っ白な袖を枕にして乾かしてくれる人もいないのだから。

〈2322〉そう大して降りもしない雪なのに、仰々しくも空一面に曇ってきた。

〈2323〉あの方の訪れを今か今かとお待ちして戸口に出てみると、沫雪が降り積もっている、庭にうっすらと。

〈2324〉山に白く見えるのは、昨日の夕方にわが庭に降った、あの雪と同じなのだろうか。

 

鑑賞 >>>

 「雪を詠む」歌。2320の「い行き」の「い」は、接頭語。「触れぬか」の「ぬか」は、願望。2321の「な降りそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「白栲の」は「袖」の枕詞。「袖まき」は、共寝の意。「人もあらなくに」は、人もいないのだから。2322の「ゆゑ」は、逆説的用法で、にもかかわらず、なのに。「こちたくも」は「言痛く」で、人の口がうるさい意から転じて、これほどは甚だしくの意。2323の「沫雪」は、泡のように消えやすい雪。「ほどろに」は語義未詳ながら、「はだら」「はだれ」との類似から、雪が薄く降り積もったさまではないかとされます。2324の「あしひきの」は「山」の枕詞。「宿」は、家の敷地、庭先。

 なお、2323の「ほどろに」の表現について、斎藤茂吉は次のように言っています。「単に雪霜の形容であろうが、相手を思い、慕い、懐かしむような場合に使っているのは注意すべきで、これも消えやすいという特色から、おのずからその処に関連せしめたものであろう。・・・どうしても、この『ほどろに』には、何かを慕い、何かを要求し、不満を充たそうとねがうような語感のあると思うのは、私だけの錯覚であろうか」。また、「今か今か」と繰り返しているのも、女の語気が出てあわれ深い、とも。

 

f:id:yukoyuko1919:20220116053508j:plain

 

『万葉集』掲載歌の索引

各巻の概要