訓読 >>>
3312
こもくりの 泊瀬小国(はつせをぐに)に よばひせす 我(わ)が天皇(すめろき)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝(い)ねたり 外床(とどこ)に 父は寝(い)ねたり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜(よ)は明け行きぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り妻(づま)かも
3313
川の瀬の石(いし)踏(ふ)み渡りぬばたまの黒馬(くろま)来る夜(よ)は常(つね)にあらぬかも
要旨 >>>
〈3312〉この泊瀬の国に妻問いをされる我が君よ。奥の寝床には母が寝ていて、入口近くの寝床には父が寝ています。起き出せば母が気づくでしょうし、部屋から出て行けば父が気づくでしょう。ためらううちに夜は明けてきました。ああ、こんなにも思うにまかせぬ隠れ妻の身です。
〈3313〉川の瀬の石を踏み渡り、あなたが黒馬の背にまたがっておいでになる夜が毎晩であってほしい。
鑑賞 >>>
両親に内緒で天皇を通わせている女の歌です。天皇までもが隠し妻の許に夜這いしていたというのは驚きますが、それほどに当時の天皇は自由気ままに行動できたのでしょうか。いったいどの天皇のことでしょうか。ひょっとして雄略天皇? 実はこれについて日本古典文学全集の『萬葉集』には、「特定の天皇をさすのではない」とあり、さらに「この歌は天皇を主人公とする伝承歌だったのであろう」とあります。
3312の「こもりくの」「ぬばたまの」は、それぞれ「泊瀬」「夜」の枕詞。「隠り妻」は、通ってくる夫があるのを隠している妻。3313の「黒馬」は、夜間に人目につきにくい馬なので、妻問いによく利用されていたといいます。
長歌と短歌
長歌は、「5・7・5・7・7」の短歌に対する呼び方で、5音と7音を交互に6句以上並べて最後は7音で結ぶ形の歌です。長歌の後にはふつう、反歌と呼ぶ短歌を一首から数首添え、長歌で歌いきれなかった思いを補足したり、長歌の内容をまとめたりします。
長歌の始まりは、古代の歌謡にあるとみられ、『古事記』や『日本書紀』の中に見られます。多くは5音と7音の句を3回以上繰り返した形式でしたが、次第に5・7音の最後に7音を加えて結ぶ形式に定型化していきました。
『万葉集』の時代になると、柿本人麻呂などによって短歌形式の反歌を付け加えた形式となります。漢詩文に強い人麻呂はその影響を受けつつ、長歌を形式の上でも表現の上でも一挙に完成させました。短歌は日常的に詠まれましたが、長歌は公式な儀式の場で詠まれる場合が多く、人麻呂の力量が大いに発揮できたようです。
人麻呂には約20首の長歌があり、それらは平均約40句と長大です。ただ、長歌は『万葉集』には260余首収められていますが、平安期以降は衰退し、『古今集』ではわずか5首しかありません。