大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東女を忘れたまふな・・・巻第4-521

訓読 >>>

庭に立つ麻手(あさで)刈り干し布さらす東女(あづまをみな)を忘れたまふな

 

要旨 >>>

庭に植えた麻を刈り干したり、それを布にしてさらす東国の女だからとて、決して忘れないでください。

 

鑑賞 >>>

 常陸守として赴任していた藤原宇合(ふじわらのうまかい)が、転任して都に帰る時に、常陸娘子(ひたちのおとめ)が贈った歌です。藤原宇合は、鎌足の孫で、不比等の子ですから、エリート中のエリートです。その出世コースの出発点として、27歳の若さで地方政治を司っていたのでした。そして、その地で宇合が泣かせた女が、常陸娘子という美女でありました。

 常陸娘子は、遊行女婦(あそびめ)かともいわれます。「うかれめ」とも読み、彼女たちは、官人たちの宴席で接待役として周旋し、華やぎを添えました。その生業として官人たちの枕辺にもあって、無聊をかこつ彼らの慰みにもなりました。しかし、そうした一面だけで遊行女婦を語ることはできないようです。ことに任期を終え都へ戻る官人のために催された餞筵(せんえん)で、彼女たちのうたった別離の歌には、数多くの秀歌があります。彼女たちは、「言ひ継ぎ」うたい継いでいく芸謡の人たちでもありました。

 娘子(おとめ)と呼ばれ、万葉集に秀歌を残している人たちはおおむね卑姓の出身であり、その身分も一様ではありません。どのような生い立ちの女性であるかなども定かでなく、ただ出身国を冠した娘子の場合、その多くは遊行女婦(うかれめ)だっただろうといわれています。固有名詞を伴わず「娘子」とだけ記す歌群の場合は、架空の人物で、虚構の歌である可能性も指摘されています。当時は、身分の高い女性のみ「大嬢」とか「郎女」「女郎」などと呼ばれ、その上に「笠」「大伴」などの氏族名がつきました。

 この歌にある「麻手刈り干し」というのは、人の背丈を超えるほどの長い麻を刈り、その束を抱きかかえて運び干す作業のこと。その姿は男女の抱擁を思わせるといい、娘子は、宇合と重ねた甘美な抱擁を思い出しつつ歌ったのでありましょうか。自身を「東女」と言っているのは、国守に対しての卑下の気持ちを表しています。斎藤茂吉はこの歌を秀歌に挙げ、「農家のおとめのような風にして詠んでいるが、軽い諧謔もあって、女らしい親しみのある歌である。『東女』と自ら云うたのも棄てがたい」と言っています。

 

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