大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

弓月が嶽に雲立ち渡る・・・巻第7-1087~1088

訓読 >>>

1087
穴師川(あなしがは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月(ゆつき)が岳に雲居(くもゐ)立てるらし

1088
あしひきの山川の瀬の響(なる)なへに弓月(ゆつき)が嶽(たけ)に雲立ち渡る

 

要旨 >>>

〈1087〉穴師川に川波が立っている。巻向の弓月が岳に、雲がわき立っているらしい。

〈1088〉山中を流れる川の瀬音が高まるにつれて、弓月が岳一面に雲が湧き立ちのぼっていく。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』からとられ、題詞に「雲を詠む」とある2首です。1087の「穴師川」は、奈良県桜井市を流れ、大和川に合流する巻向川の別名。「痛足川」「痛背川」と表記する例もあり、それぞれ「ああ、足が痛い」「ああ、背中が痛い」の意から来ているようです。「弓月が岳」は桜井市の北部に位置する巻向山の最高峰(標高567m)。1088の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山川」は山の中を流れる川。「なへに」は~と同時に、~とともにの意です。

 

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 1087について斎藤茂吉は、「第2句に『立ちぬ』、結句に『立てるらし』と云っても、別に耳障りしないのみならず、1首に3つも固有名詞を入れている点なども、大胆なわざだが、作者はただ心のままにそれを実行して毫もこだわることがない。そしてこの単純な内容をば、荘重な響きをもって統一している点は実に驚くべきで、おそらくこの1首は人麻呂自身の作だろうと推測することができる」と評しています。

 また、1088も同様に人麻呂作だろうとして、「この歌もなかなか大きな歌だが、天然現象が、そういう荒々しい強い相として現出しているのを、その儘(まま)さながらに表現したのが、写生の極致ともいうべき優れた歌を成就したのである」と言っています。

 

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柿本人麻呂歌集』について

 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

 この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

 ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

 文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。