訓読 >>>
おのれ故(ゆゑ)罵(の)らえて居(を)れば青馬(あおうま)の面高(おもたか)夫駄(ぶだ)に乗りて来(く)べしや
要旨 >>>
あんたのせいで叱られている折も折、人目につく白い面長の馬に乗って、よくも堂々と訪ねて来れたものですね。
鑑賞 >>>
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、獣に寄せての歌。女が、男との交際を保護者から叱責されている最中に、タイミング悪く男がやって来た。それも人目につく白い馬で堂々と。ふつう恋人のもとへそっと訪れる男は、目立たないように黒や栗毛の馬に乗るのに、なんという無神経さ。女の男に対する怒りはすさまじく、相手を「君」とか「わが背子」と言わずに「おのれ」と言っています。「面高」は、面長の意味とするほか、顔がごつごつしている、あるいは顔を高く上げたさまとする説があります。「夫駄」は夫役に使う荷馬のことで、この言葉も、相手をののしっていうときに使われるようです。
なお左注には「この一首は、平群文屋朝臣益人が伝えて云わく、昔、紀皇女(天武天皇の皇女)がひそかに高安王と通じて叱られているときに、この歌を作ったと聞いている。ただし、高安王は左遷されて伊予の国守に任ぜられた」旨の記載があります。しかし、高安王は紀皇女より時代が新しい人であるため、多紀皇女(たきのひめみこ)ではないかとする見方があります。二人を結びつけるのは年代的に無理があるため、多紀皇女(たきのひめみこ)ではないかとする見方があります。紀皇女は天武帝の皇女で、弓削皇子から恋歌を贈られる巻第2-119~122)など、艶聞の多い女性であったことから、そうした記憶がいつしかこの歌と結びつき、紀皇女に比定されてしまったのかもしれません。
相聞歌の表現方法
『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。
正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。
譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。
寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。譬喩歌と著しい区別は認められない。