訓読 >>>
176
天地(あめつち)とともに終へむと思ひつつ仕へまつりし心 違(たが)ひぬ
177
朝日照る佐田(さだ)の岡辺(をかへ)に群れ居(ゐ)つつ我が泣く涙やむ時もなし
184
東(ひむがし)のたぎの御門(みかど)に侍(さもら)へど昨日(きのふ)も今日(けふ)も召す言(こと)もなし
要旨 >>>
〈176〉天地とともに永遠にと思いながらお仕えしてきたのに、こんなことになろうとは。
〈177〉朝日が照る佐田の岡辺に群がって近侍しながら、われらの泣く涙はやむ時もない。
〈184〉東のたぎの御門に伺候しているけれど、昨日も今日もお召しなるお言葉もない。
鑑賞 >>>
草壁皇子が薨(こう)じた時、舎人らが捧げた挽歌23首のうちの3首です。「舎人」は皇族などに仕えた下級役人のこと。草壁皇子は、天武天皇亡きあと、皇后(のちの持統天皇)が次代の天皇と恃(たの)んだ、ただ一人の皇子でしたが、28歳の若さで世を去ってしまいます。皇子に仕えてきた舎人たちは衝撃と悲しみに沈み、多くの挽歌を残しました。
177の「佐田の岡辺」は舎人らが奉仕する場所。皇子の遺骸を島の宮から佐田の岡へ移す時の歌とされます。奈良県高取町佐田にある束明神古墳を草壁皇子の墓とする説が有力のようです。
184の「東のたぎの御門」の「たぎ」は、水が激しく流れる「たぎつ」と同義で、東門の近くに飛鳥川から引いた水が注ぎ落ちる場所があったと想像されます。この歌は、かつて召し給わったお声を聞くことができないと嘆いており、舎人たちの作中、もっとも具体的で一途な悲しみにあふれていると評されています。