大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

氷魚ぞ下がれる・・・巻第16-3838~3839

訓読 >>>

3838
我妹子(わぎもこ)が額(ひたひ)に生(お)ふる双六(すごろく)の特負(ことひ)の牛の鞍(くら)の上の瘡(かさ)

3839
我(わ)が背子(せこ)が犢鼻(ふさき)にするつぶれ石の吉野の山に氷魚(ひを)ぞ下がれる

 

要旨 >>>

〈3838〉うちの女房のおでこに生えている、双六の、牡牛の鞍のできもの。

〈3839〉うちの亭主がふんどし代わりにする丸石の転がっている吉野の山に、氷魚がぶら下がっている。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「無心所著(むしんしょじゃく)の歌」とあり、「心の著(つ)く所無し」、つまり意味のつけようがない歌のことです。左注に説明があり、舎人親王(とねりのみこ)が侍者らに、「もし意味のつながらない歌を作る者がいたら、銭や絹布をほうびに与えよう」とお命じになった。そこで大舎人(おおとねり)の安倍朝臣子祖父(あべのあそみこおおじ)がこの歌を作って献上した。親王は皆から集めたものと銭二千文をお与えになった、とあります。

 舎人親王天武天皇の皇子。大舎人は天皇の側近。安倍朝臣子祖父は伝未詳。3838の「特負の牛」は力の強い牡牛。「瘡」はできもの、はれもの。3839の「犢鼻」はふんどし。「つぶれ石」は丸い石。「氷魚」はアユの稚魚。また、3838は女のやっかみを皮肉った歌であり、3839は役立たずの夫のアソコをからかった歌だともいいます。夫のモノが、アユの稚魚だ、って・・・。

 「巻第16」は滑稽な歌を多く集めた巻であり、それを高く評価する正岡子規は、「この歌は理屈の合わぬ無茶苦茶な事をわざと詠めるなり。馬鹿げたれど馬鹿げ加減が面白し」と述べています。

 

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正岡子規による「巻第16」評

 巻第16は、巻第15までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻とされ、伝説的な歌やこっけいな歌などを集めています。しかし、かの正岡子規は、この巻第16について、次のように述べています。

 万葉20巻のうち、最初の2、3巻がよく特色を表し、秀歌に富めることは認めるが、ただ、万葉崇拝者が万葉の歌の「簡浄、荘重、高古、真面目」を尊ぶばかりで、第16巻を忘れがちであることには不満である。寧ろその一事をもって万葉の趣味を解しているのか否かを疑わざるを得ない。第16巻は主として異様な、他に例の少ない歌を集めており、その滑稽、材料の複雑さ等に特色がある。

 それら滑稽のおもむきは文学的な美の一つに数えられるものであり、その笑いを軽んじたり、嫌ったりすべきでない。その調子は万葉を通じて同じであり、いかに趣向に相違があるとしても、まごうことなき万葉の歌である。そうした歌が、はるか千年前に存在したことを人々に紹介し、万葉集の中にこの一巻があることを広く知らしめたい。「歌を作る者は万葉を見ざるべからず。万葉を読む者は第16巻を読むことを忘れるべからず」。