大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

今は罷らむ子泣くらむ・・・巻第3-337

訓読 >>>

憶良(おくら)らは今は罷(まか)らむ子泣くらむその彼の母も吾(わ)を待つらむぞ

 

要旨 >>>

私、憶良はもう失礼いたします。今ごろ家では子供が泣いているでしょう、その母親も私を待っていますから。

 

鑑賞 >>>

 この歌は、山上憶良筑前守として大宰府にいた時の歌とされ、この前後に大宰帥(だざいのそち:大宰府の長官)の大伴旅人、防人司佑(さきもりのつかさのすけ)の大伴四綱、沙弥満誓の歌等があるため、大宰府における宴会の時の歌とみられています。

 題詞には、「宴席から退出する時の歌」とあります。それまでにも宴席を中座するチャンスを伺っていたのでしょうか。妻を「子の母」と表現したところにおかしみがあります。しかし、子どもが泣いて、妻も待っていますから・・・というのはいちばん野暮な帰り方です。しかも憶良はこの時、60歳を遥かに越えていました。したがって、これは一種の笑わせ歌です。おそらく、この歌が披露されるやいなや、やんやの喝采が起こったことでしょう。楽しい宴席のようすが、何だか目に浮かぶようです。なお、歌中の「憶良ら」の「ら」は複数の意味ではなく、自ら名乗るときは謙遜の意を表す接尾語で、今でいう「わたくしめ」の「め」のようなものです。

 斎藤茂吉は、憶良について次のように言っています。「憶良は万葉集の大家であるが、飛鳥朝、藤原朝あたりの歌人のものに親しんできた眼には、急に変わったものに接するように感ぜられる。その声調がいかにもごつごつしていて、流動の響きに乏しい。そういう風でありながら、どこかに実質的なところがあり、軽薄平俗になってしまわない。またそういう滑らかでない歌調が、当時の人にも却って新しく響いたのかもしれない。憶良は、大正昭和の歌壇に生活の歌というものが唱えられた時、いち早くその代表的歌人のごとくに取扱われたが、そのとおり憶良の歌には人間的な中味があって、憶良の価値を重からしめている」

 憶良の歌には恋歌や叙景詩はなく、漢文学や仏教の豊かな教養をもとに、貧・老・病・死、人生の苦悩や社会の矛盾を主題にしながら、下層階級へ温かいまなざしを向けた歌が収められています。

 

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