大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(2)・・・巻第15-3580~3581

訓読 >>>

3580
君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ

3581
秋さらば相見(あひみ)むものを何(なに)しかも霧に立つべく嘆きしまさむ

 

要旨 >>>

〈3580〉旅の途上の海辺の宿に霧が立ち込めたなら、私が門に立ち出てはため息をついていると気づいて下さい。

〈3581〉秋になったら必ず逢えるのに、どうして霧となって立ち込めるほどに嘆くのか。

 

鑑賞 >>>

 3580は、遣新羅使として旅立つ夫を送り出す妻の歌、3581はそれに答えた夫の歌です。この時の使節は、夏の4月に出発し、秋に戻ってくる予定でしたが、出発前から遅れ、気候の影響からか、実際に難波から船出したのは6月でした。

 当時の船旅は現代とは違い、たいへん危険なものでしたから、海上に霧が立ち込めると、視界が悪くなり安全を保てなくなります。夫を待つ妻の心の不安が霧という形で表現されていますが、一方で、古代の人たちは、吐息には魂が宿り、霧になると考えていました。妻は、自分の魂の込もった霧によって夫の身の安全を守りたいとも言っているように感じられます。

 3580の「宿」は、夜は船を海岸に繋ぎ、上陸して宿るときに建てる仮小屋。3581の「秋さらば」は、秋になったら。「何しかも」は、どうして~か。「嘆きしまさむ」の「しまさむ」は「せむ」の敬語。

 

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