大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

うらうらに照れる春日に・・・巻第19-4292

訓読 >>>

うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上がり心悲しも独(ひとり)し思へば

 

要旨 >>>

うららかに日の照っている春の日に、雲雀の声も空高く舞い上がり、やたらと心が沈む。こうしてひとり物思いにふけっていると。

 

鑑賞 >>>

 家持がこの歌を詠んだのは、旧暦2月25日、今なら4月3日くらいにあたります。気持ちのよい晴れた日に、雲雀が空を舞い上がる。いかにも春らしいのどかな光景ですが、しかし、家持の心は沈んでいます。左注には次のような説明があります。

「春日 遅々にして、鶬鶊(さうかう)正(ただ)に啼く。悽惆(せいちう)の意、歌に あらずしては撥(はら)ひかたきのみ。よりて、この歌を作り、もちて締緒(ていしょ)を展(の)ぶ」
(春の日は遅々として、ひばりがしきりに鳴く。辛く悲しい心の痛みは、歌でなくては晴らし難い。そこでこの歌を作り、愁いに結ばれた心の紐を解く)

 家持の心を鬱屈とさせていたものは何だったのでしょうか。当時は藤原氏の台頭によって名門大伴氏は衰退の一途をたどっていました。責任ある家長の立場としての苦悩によるものだったのでしょうか、それとももっと奥深い、人間としての存在それ自体の悲しみだったのでしょうか。この歌は、巻第19の巻末におかれた歌です。

 

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