訓読 >>>
3584
別れなばうら悲(がな)しけむ我(あ)が衣 下(した)にを着(き)ませ直(ただ)に逢ふまでに
3585
我妹子(わぎもこ)が下(した)にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を我(あ)れ解(と)かめやも
要旨 >>>
〈3584〉お別れしたら、さぞもの悲しいことでしょう。私のこの着物を肌身に着ていらしてください、直接お逢い出来る日が来るまで。
〈3585〉愛しいお前が、肌身離さずといって贈ってくれたこの着物の紐、それを解くことなどありましょうか。
鑑賞 >>>
3584が妻の歌。3585が夫の歌。「衣の紐を我れ解かめやも」と、貞操を守ることを誓っています。
天平8年(736年)夏6月に新羅へ派遣された使者たちは、秋には帰国する予定でしたが、途上で暴風にあい、また疫病で仲間を失い、さらには新羅との交渉も不調に終わるなど、散々な旅となり、ようやく帰国できたのは翌年の春でした。
遣新羅使のとった航路については正史にはほとんど記載がないものの、『万葉集』の巻第15に収められている歌によって、天平8年(736年))の阿倍継麻呂大使率いる遣新羅使一行の行程がある程度分かっています。
難波を出航し、瀬戸内海を西進 →敏馬浦(神戸市)→玉の浦(倉敷市)→鞆の浦(福山市)→長井の浦(三原市)→風早浦(東広島市)→倉橋島(呉市)→分間浦(中津市)→筑紫館(福岡市)→韓亭(能古島)→引津亭(糸島市)→神集島(唐津市)→壱岐島 →浅茅浦(対馬市)→竹敷浦(対馬市)→新羅へ