訓読 >>>
3584
別れなばうら悲(がな)しけむ我(あ)が衣 下(した)にを着(き)ませ直(ただ)に逢ふまでに
3585
我妹子(わぎもこ)が下(した)にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を我(あ)れ解(と)かめやも
要旨 >>>
〈3584〉お別れしたら、さぞもの悲しいことでしょう。私のこの着物を肌身に着ていらしてください、直接お逢い出来る日が来るまで。
〈3585〉愛しいお前が、肌身離さずといって贈ってくれたこの着物の紐、それを解くことなどということは決してないだろう。
鑑賞 >>>
3584が妻の歌、3585が夫の歌。3584の「うら悲しけむ」の「うら」は、心、すなわち人間の内面を示し、しばしば心情を示す形容詞や動詞と複合語をなします。「うら泣く」「うら悲し」「うら恋ひ」など。「下にを」は、夫の肌に直接添わせる意と、人目に目立たないようにとの意を含んでいます。「着ませ」の「ませ」は、敬語の助動詞で、命令形。妻がその身に着けている衣を夫に着せようとするのは、自身の霊を夫の身に添わせようとする、上代の信仰によるものでした。「直に」は、直接に。3585では、夫は「衣の紐を我れ解かめやも」と言って、妻の霊を身から離すことはない、また、貞操を守ることを誓っています。「やも」の「や」は、反語。「も」は詠嘆。
遣新羅使のとった航路については正史にはほとんど記載がないものの、『万葉集』の巻第15に収められている歌によって、天平8年(736年))の阿倍継麻呂大使率いる遣新羅使一行の行程がある程度分かっています。
難波を出航し、瀬戸内海を西進 →敏馬浦(神戸市)→玉の浦(倉敷市)→鞆の浦(福山市)→長井の浦(三原市)→風早浦(東広島市)→倉橋島(呉市)→分間浦(中津市)→筑紫館(福岡市)→韓亭(能古島)→引津亭(糸島市)→神集島(唐津市)→壱岐島 →浅茅浦(対馬市)→竹敷浦(対馬市)→新羅へ
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について