大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

風流秀才の士・・・巻第2-126~127

訓読 >>>

126
遊士(みやびを)とわれは聞けるを屋戸(やど)貸さずわれを還(かへ)せりおその風流士(みやびを)

127
遊士(みやびを)にわれはありけり屋戸(やど)貸さず還(かへ)ししわれそ風流士(みやびを)にはある

 

要旨 >>>

〈126〉みやびなお人だと聞いていましたのに、私をそのまま帰してしまうなんて、何と無粋な風流士ですこと。

〈127〉私こそが風流士です。あなたと一夜を共にすることもなく帰したのですから、私こそ本当の風流士です。

 

鑑賞 >>>

 大伴田主(おおとものたぬし)に片思いをしていた石川郎女(いしかわのいらつめ)が、ある夜、老女に変装し、「東隣に住む貧しい老婆です。火種がきれてしまいましたので、お貸しください」という口実をつくって、田主の家にやって来ました。ところが期待に反し、本当に火種を貸してくれたのみで帰されてしまいました。126は、田主に恥をかかされたと思った郎女が翌日に贈った歌、127は田主がそれに答えた歌です。

 「遊子」を「みやびを」と訓んだのは本居宣長とされ、下の「風流士」の字もあてています。「遊子」とは「風流秀才の士」であり、また大宮人の風情をもった人の意ですが、ここでは転じて、情に対して敏感な人、物わかりのよい人というような意味になっています。郎女は、田主を「おその風流士」、つまり鈍感で無粋な風流士だといって嘲りましたが、田主は、郎女がした恥ずべき振舞いは、それと知っても、わざと知らぬふりをしたのだと言外にいって嘲り返しています。

 大伴田主大伴安麻呂(おおとものやすまろ)の次男で、大伴旅人実弟家持の叔父にあたります。左注には「容姿佳艶、風流秀絶、見る人聞く者、歎息せざることなし」とあるものの、正史に名を残していないため、五位以上の官位に就く前に、若くして亡くなったのではないかとみられています。

 石川郎女については、万葉集に8首の相聞歌があり、相手の男性は7名にのぼりますが、すべてを同一人物の作と見ることは困難なようです。相手はいずれもそのころの代表的な貴公子、美男で、そうした男性と浮名を流した女性として聞こえていたようです。

 万葉時代の女性の中でも、特に奔放な恋愛を謳歌したことで知られる石川郎女ですが、彼女らが恋に積極的でありえた背景には、当時の結婚が「妻問婚」だったという事情が大きくかかわっています。庶民については確かでないものの、中流以上の家では、女は成人後も親元に残り、そこに夫である男を迎えて、結婚生活を営みました。古くからの母系社会的な構造がこの時代にも残っており、経済的にも男に依存することがなかったのです。かの大伴坂上郎女恋多き女として知られ、少なくとも3度結婚していますが、自身は親の家である佐保の邸に住み、後には家刀自として家を取り仕切っています。

 

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