大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

をととしの先つ年より・・・巻第4-783~785

訓読 >>>

783
をととしの先つ年より今年まで恋ふれどなぞも妹(いも)に逢ひかたき

784
うつつにはさらにもえ言はず夢(いめ)にだに妹(いも)が手本(たもと)を卷き寝(ぬ)とし見ば

785
我がやどの草の上白く置く露(つゆ)の身も惜しからず妹(いも)に逢はずあれば

 

要旨 >>>

〈783〉一昨年のそのまた前の年から今年に至るまで、ずっと恋し続けているのに、どうして貴女になかなか逢えないのでしょうか。

〈784〉現実には、そうしたいなどととても口に出して言えないけれど、せめて夢にでもあなたの腕を枕に寝られれば、それだけで十分です。

〈785〉たとえ庭の草の上に白く置いている露のようにはかなく消えようと、私の命は惜しくありません、もし貴女にお逢いできないのなら。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持が娘子に贈った歌3首です。783の「先つ年」は前年、「をととしの先つ年」はすなわち一昨昨年の意。「なぞ」は、どうして。784の「うつつ」は現実。「更にも」は打消しを伴って、とても~ない。「手本」は肘から肩までの部分。「巻く」は枕にする。785の「やど」は庭。

 783について、長い間相手を思い続けていると、魂が感応して、相手も心を動かすという信仰があり、それを踏まえた歌のようです。また784は、夢は相手がこちらを思ってくれるゆえに見えると信じられていたことから、わが恋は実現できなくても、せめて貴女がこちらを思う心があれば、それだけでも嬉しいと言っています。

 

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