大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

もみち葉の過ぎにし児らと・・・巻第9-1796~1799

訓読 >>>

1796
もみち葉の過ぎにし児らと携(たずさ)はり遊びし磯を見れば悲しも

1797
潮気(しおけ)立つ荒磯(ありそ)にはあれど行く水の過ぎにし妹(いも)が形見とそ来(こ)し

1798
古(いにしえ)に妹と我(わ)が見しぬばたまの黒牛潟(くろうしがた)を見れば寂(さぶ)しも

1799
玉津島(たまつしま)礒の浦廻(うらみ)の真砂(まなご)にもにほひて行かな妹(いも)も触れけむ

 

要旨 >>>

〈1796〉黄葉が散るように死んでしまった妻と、手を取り合って遊んだことのある磯を見ると悲しくなってくる。

〈1797〉潮煙が立つほどの荒磯だけれど、流れる水のように死んでしまったあなたを思い出す土地と思ってやって来た。

〈1798〉昔、私はあなたと二人して見に来たことのある黒牛潟に来たけれど、一人で見るのは寂しくてならない。

〈1799〉玉津島の磯の浦辺の白砂、この白砂にたっぷり染まって行きたい。亡くなったあなたも触れたであろうから。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「紀伊の国にして作る歌」とある4首で、かつて妻と共に楽しく過ごした思い出の地に、妻が亡くなった後に一人でやって来て詠んだ歌です。

 1796の「もみち葉の」は「過ぎ」の枕詞。1797の「行く水の」は「過ぎ」の枕詞。「過ぐ」は死ぬことを意味します。1798の「黒牛潟」は、和歌山県海南市の黒江湾のこと。黒牛に似た大石が潮の干満によって見え隠れしていました。1799の「玉津島」は和歌山市和歌浦玉津島神社の後方の山々。当時は島でした。「にほひて」は美しい色にして。「行かな」の「な」は願望。

 斎藤茂吉は1797について、「句々緊張して然も情景とともに哀感の切なるものがある。この歌は、巻一(47)の人麻呂作、『真草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し』というのと類似しているから、その手法傾向によって、人麻呂作だろうと想像することが出来る」と述べ、他の3首も「哀深いものである」と評しています。