大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

蝦鳴く神奈備川に影見えて・・・巻第8-1435

訓読 >>>

蝦(かはず)鳴く神奈備川(かむなびがは)に影(かげ)見えて今か咲くらむ山吹(やまぶき)の花

 

要旨 >>>

河鹿(かじか)の鳴く神奈備川に影を映して、今は咲いているだろうか、山吹の花は。

 

鑑賞 >>>

 厚見王(あつみのおおきみ)が、山吹の咲く頃に、以前に見たことのある神奈備川の岸辺の山吹を思い出して詠んだ歌。厚見王は系譜未詳ながら、続紀に、天平勝宝元年従五位下を授けられ、天平宝字元年従五位上を授けられたことが記されています。『万葉集』には3首の歌を残しており、万葉末期の歌風をよく表していると評価される歌人です。

 「蝦」はカジカガエルで、清い渓流に棲み、夏から秋にかけて澄んだ声で鳴く小さな蛙。「神奈備」は、神が鎮座する神聖な場所で、山や杜(もり)といった形をして、中心には岩があります。「神奈備川」はその地を流れる川の意で、神奈備には条件的に川が帯のように巡って流れています。ここでは竜田川または明日香川。「今か」の「か」は疑問の係。今は咲いているだろうか。「らむ」は現在推量の助動詞。

 この歌は、平安朝時代に特に愛され、斉藤茂吉は、「こだわりのない美しい歌である」として、「この歌が秀歌としてもてはやされ、六帖や新古今に載ったのは、流麗な調子と、『かげ見えて』、『今か咲くらむ』という、いくらか後世ぶりのところがあるためで、これが本歌になって模倣せられたのは、その後世ぶりが気に入られたものである。『逢坂の関の清水にかげ見えて今や引くらむ望月の駒』(拾遺・貫之)、『春ふかみ神なび川に影見えてうつろひにけり山吹の花』(金葉集)等の如くに、その歌調なり内容なりが伝播している」と述べています。