大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

娘子らが袖布留山の・・・巻第4-501~503

訓読 >>>

501
娘子(をとめ)らが袖(そで)布留(ふる)山の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(われ)は

502
夏野(なつの)行く牡鹿(をしか)の角(つの)の束(つか)の間も妹(いも)が心を忘れて思へや

503
玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家の妹(いも)に物言はず来(き)にて思ひかねつも

 

要旨 >>>

〈501〉少女たちが袖を振る、布留の石上神宮の垣、その古い垣のように昔から変わらず、ずっとあなたを思っていた。

〈502〉夏の野をゆく若い牡鹿の生え変わる角のように、ほんのわずかな間も、妻の心を忘れることがあろうか。

〈503〉美しい衣のさいさいしずみ、家の妻にろくに物も言わずに出てきてしまい、恋しさに耐えかねている。

 

鑑賞 >>>

 人麻呂の、自分を思う妻への感謝の気持ちを込めた歌です。501は、娘子らが袖を振る、布留の山とかけており、「袖」までが「布留」を、上3句が「久しき」を導く二重の序詞になっています。「布留」はいまの奈良県天理市布留町で、石上(いそのかみ)神社の周辺。この当時の衣の袖は指先が隠れるほどに長い筒袖で、袖を振るのは魂を招く呪術的な行為とされていました。

 502の上2句は、鹿は夏の初めに角を落とし、生えかわるので、まだ夏になって短いところから、短い譬喩としたもので、「束の間」を導く序詞。「束」は、この時代に長さの単位とされていたもので、こぶしを握って指4本の幅にあたります。鹿を詠むのは秋の歌に多く、夏の歌は珍しい例です。

 503の「玉衣の」は「さゐさゐ」の枕詞。「さゐさゐ」の意味は不明ですが、衣(きぬ)ずれの擬声音、あるいは、旅立ちがせわしなく、妻が悲しみ騒いで、心が沈んで、などと解釈されます。人麻呂の用語としてはふさわしくなく、また中央の言葉にはみられないことや、唐突な別れの歌であることなどから、防人の歌ではないかとする見方もあるようです。昭和~平成時代の歌人である塚本邦雄は、「玉衣のさゐさゐしづみ」という音の響きが卓抜だとしてこの歌を愛し、「夫の妻に対する愛が滾(たぎ)るように、この二句に表現されている。妻なる人の容姿から衣服まで浮かんでくるようだ。人麿の数多ある相聞中随一」と評しています。なお、東歌に別伝の形の歌「あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも」(巻第14-3481)があり、人麻呂の歌とどちらが先かは分かりません。