訓読 >>>
信濃道(しなぬぢ)は今の墾(は)り道 刈りばねに足踏ましなむ沓(くつ)はけ我(わ)が背
要旨 >>>
信濃道(しなのぢ)は切り拓いたばかりの道です。きっと切り株をお踏みになるでしょう。靴を履いてお越しになって下さい、あなた。
鑑賞 >>>
「信濃道」は信濃の国府へ行く道。「墾る」は開墾する意。美濃と信濃を結ぶ道が、大宝2年(702年)から10余年かかって開通したという記録があり、その道が完成して間もないころの歌とみられます。「刈りばね」は木の切り株。「踏むまし」は「踏む」の敬語。このころの一般庶民は裸足で、沓(くつ)は正式なものは革製でしたが、ふつうは布や藁(わら)などで作られました。この歌は、女の許へ通ってきた男が帰ろうとする時に女が言ったものですが、親愛をこめたからかいのようでもあります。
なお、この歌には「馬が切り株を踏まないように靴を履かせよ」とする解釈もあります。
巻第14と東歌について
巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。
もっともこれらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。