大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

この我子を唐国へ遣る・・・巻第19-4240~4241

訓読 >>>

4240
大船(おほぶね)に楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)きこの我子(あこ)を唐国(からくに)へ遣(や)る斎(いは)へ神たち

4241
春日野(かすがの)に斎(いつ)く三諸(みもろ)の梅の花 栄(さ)きてあり待て帰り来るまで

 

要旨 >>>

〈4240〉大船に櫂(かい)をたくさん取りつけて、この我が子を唐の国へ遣(つか)わします。どうか守ってやってください、神々よ。

〈4241〉春日野にお祀りしている神の御座所の梅の花よ、このまま咲き栄えて待っていてくれ、私が帰って来る日まで。

 

鑑賞 >>>

 4240の左注に「春日にして神を祭る日、藤原太后の作らす歌一首。即ち入唐大使藤原朝臣清河に賜ふ 参議従四位下遣唐使」とある歌です。藤原太后光明皇后のことです。遣唐大使に任命された藤原朝臣清河(ふじわらのあそんきよかわ)は房前の子で、光明皇后の甥にあたりますが、国母の立場もしくは親愛の情から「我子」と呼んでいます。房前は天平9年(737年)の悪疫流行の時に亡くなっているので、親代わりのような気持ちもあったのでしょう。

 4241は、遣唐大使となった清河の歌です。清河は天平勝宝2年(750年)9月に遣唐大使となり、同4年3月拝朝の後に入唐、阿倍仲麻呂とともに唐朝に仕えました。その後、帰国の途上に逆風に遭い漂着、同船の者は土人に殺されたものの、清河は助かって唐に留まり、結局、帰国することなく、宝亀9年(778年)ころ唐国で没しました。

 4241の「春日野」は、奈良の春日山御蓋山のふもとに広がる野で、現在の奈良公園を含む地域。「斎く」は、心身を清めて神に仕えること。「三諸」は、神が降臨して宿るところ、神を祀る神座や神社。ここの「梅の花」は、叔母の光明皇后の譬えであり、皇后を称える気持ちを詠んでいるとする説もあります。つまり、「春日野にお祀りしている神の御座所の梅の花、その梅の花のような皇后様、どうかご無事でいてください、私が帰って来る日まで」。