訓読 >>>
神奈備(かむなび)の磐瀬(いはせ)の社(もり)の呼子鳥(よぶこどり)いたくな鳴きそ我(あ)が恋まさる
要旨 >>>
神聖な磐瀬の社に鳴く呼子鳥よ、そんなに鳴かないでおくれ。私の恋しい心がつのるばかりだから。
鑑賞 >>>
鏡王女(かがみのおほきみ)の歌。鏡王女は謎が多い女性で、額田王(ぬかだのおほきみ)の姉という説のほかに、最初は天智天皇の妃で、のちに藤原鎌足の妻になった女性であるとか、舒明天皇の皇女または皇孫だという説や、鏡王女という名の女性は2人いる説などがあります。
「神奈備」は神が鎮座する山や森のことで、万葉の人々にとって、山や森は神が天から降りたなう神聖な場所でした。ここでは龍田の神奈備をさします。「磐瀬の杜」は奈良県生駒郡斑鳩町龍田の南方にあった森。「呼子鳥」はそういう名の鳥ではなく、あたかも人の魂に呼びかけるように鳴く鳥のことで、カッコウまたはホトトギスとされます。
王女には、誰にも打ち明けていない秘めた思い人があり、その恋に苦しんでいたのでしょうか。神のいます静かな森に鳴く神秘的な鳥の声に耳を傾け、なおつのる人知れぬ恋の苦しさを詠っています。「カッコウ、カッコウ・・・」つまり、そんなに「かく恋ふ、かく恋ふ」と鳴かないでおくれ、と。
斎藤茂吉はこの歌を評し、ごく単純な内容のうちに純粋な詠嘆の声を聞くことができ、王女は額田王の姉でもあったから、額田王の歌にも共通な言語に対する鋭敏さがうかがわれるが、額田王の歌よりもっと素直で才鋒の目立たぬところがある、と言っています。また、作歌の田辺聖子は、「神秘的で美しい歌」であり、「恋をうたっていながら、凛乎(りんこ)たる気品にみちた一首」と評しています。