大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

いにしへにありけむ人も・・・巻第7-1118~1119

訓読 >>>

1118
いにしへにありけむ人も吾(わ)が如(ごと)か三輪(みわ)の檜原(ひはら)に挿頭(かざし)折(を)りけむ

1119
行く川の過ぎにし人の手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪の桧原(ひはら)は

 

要旨 >>>

〈1118〉昔の人も今の私と同じように、三輪の桧原(ひばら)の檜(ひのき)を手折って、山葛(やまかずら)として頭にかざしていたのでしょうか。

〈1119〉行く川の流れのように過ぎ去った昔の人たちが手折ってくれないので、力なく立っている、三輪の桧原は。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から採った歌。『柿本人麻呂歌集』は、万葉集編纂の際に材料となった歌集の一つで、人麻呂自身の作のほか、他の作者の歌や民謡などを集めていますが、現存はしていません。

 1118の、桧の枝葉をかざすというのは、単なる髪飾りではなく、三輪の神への信仰の行為とされました。「桧原」は桧(ひのき)の生えている原。昔から多くの人々が三輪の桧原の霊力にすがろうとしていたのだろうと言って、その神聖さを讃えています。

 1119の「行く川の」は「過ぎ」の枕詞。「過ぎにし人」は亡くなった人。「うらぶれ」は、しょんぼりして、わびしく思って。今では手折る人も少なくなり、うらぶれて立つ三輪の桧原の神を慰めています。