訓読 >>>
1118
いにしへにありけむ人も吾(わ)が如(ごと)か三輪(みわ)の檜原(ひはら)に挿頭(かざし)折(を)りけむ
1119
行く川の過ぎにし人の手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪の桧原(ひはら)は
要旨 >>>
〈1118〉昔の人も今の私と同じように、三輪の桧原(ひばら)の檜(ひのき)を手折って、山葛(やまかずら)として頭にかざしていたのだろうか。
〈1119〉行く川の流れのように過ぎ去った昔の人たちが手折ってくれないので、力なく立っている、三輪の桧原は。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から「葉を詠める」歌。『柿本人麻呂歌集』は、万葉集編纂の際に材料となった歌集の一つで、人麻呂自身の作のほか、他の作者の歌や民謡などを集めていますが、現存はしていません。
1118のの「吾が如か」は、吾がするがごとくにか。「か」は、疑問の係助詞で、第5句で結んでいます。「桧原」は桧(ひのき)の生えている原。桧の枝葉をかざすというのは、単なる髪飾りではなく、三輪の神への信仰の行為とされました。昔から多くの人々が三輪の桧原の霊力にすがろうとしていたのだろうと言って、その神聖さを讃えています。「吾が」の原文が「吾等」と複数表現になっていることから、妻と二人でいたことを思わせ、窪田空穂は、「それだとこの場合、最も自然であり、また情味深いことである」と述べています。
1119は上の歌との連作であり、「行く川の」は、流れる川の水が元に戻らない、そのように、の意で「過ぎ」に掛かる枕詞。「過ぎにし人」は、亡くなった人。「死ぬ」を忌避した表現。「うらぶれ」は、しょんぼりして、わびしく思って。今では手折る人も少なくなり、うらぶれて立つ三輪の桧原の神を慰めています。窪田空穂は、「この歌は上の歌とは異なって複雑した心を気分化して詠んでいるものであるが、しかし言葉つづきは直線的で、沈痛な気分の籠もっているものである。人麿の信仰心を濃厚に示している歌である」と述べています。
一方、古代文学研究者の橋本達雄も、同じく1118の「吾が如」は妻と二人での意を込めているのであろうとしながら、「いにしへの人も私たちと同じように、ここで挿頭を折ったのだが、今は世になく、ともにかざした妻もまた、という感慨なのではないかと思う。やや深読みのようだが、1119およびあとに掲げる1268・1269は一連と考えられるので、このように解しうる。1119は流れゆく川のように世を去った人、すなわち妻を指すが、1118の『いにしへ』人も包みこんだ述べ方であろう。すでに折りかざす人もなく、三輪の檜原がしょんぼり立っているのであって、人麻呂の心をそのまま感情移入したものである。個人的な沈痛な悲しみを人世一般に拡げ、普遍化して嘆くのも人麻呂らしい手法」と述べています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について