大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

織女し舟乗りすらし・・・巻第17-3900

訓読 >>>

織女(たなばた)し舟乗りすらしまそ鏡(かがみ)清き月夜(つくよ)に雲立ちわたる

 

要旨 >>>

織り姫は舟に乗って漕ぎ出したよう。美しい鏡のように、清い月夜に雲が立ち渡っていく。

 

鑑賞 >>>

 天平10年(738年)7月7日の夜に、大伴家持が、天の川をひとり仰ぎ見ていささかに思いを述べるとして詠んだ歌です。天の川を渡って逢いに行くのはふつう牽牛とされますが、ここでは織女が出かけて行きます。しかし、中国の七夕では織女が牽牛を訪問するかたちとなっているため、家持はこれを踏まえたとみられます。「織女し」の「し」は強意の助詞。「まそ鏡」は鏡を褒めていう語で、「清き」の枕詞。

 なお、日本で牽牛と織女の立場が逆転し、なぜ牽牛が天の川を渡り、織女が待つ身となったかについて、民俗学の立場から次のように説明されています。「かつて日本には、村落に来訪する神の嫁になる処女(おとめ)が、水辺の棚作りの建物の中で神の衣服を織るという習俗があった。この処女を『棚機つ女(たなばたつめ)』といい、そのイメージが織女に重なったため、織女は待つ女になった。また、当時の日本の結婚が「妻問い婚」という形をとっていたためだと考えられている」。

 家持がこの歌を詠んだのは21歳の時。同じ日、宮中では、聖武天皇が相撲を御覧になった後、文人30人を集めて漢詩を作る七夕宴が催されたことが『続日本紀』に記されています。家持はこの宴会を意識して歌を詠んだのでしょうか。