訓読 >>>
4325
父母(ちちはは)も花にもがもや草枕(くさまくら)旅は行くとも捧(ささ)ごて行かむ
4326
父母(ちちはは)が殿(との)の後方(しりへ)のももよ草 百代(ももよ)いでませ我(わ)が来(きた)るまで
4327
我(わ)が妻も絵に描(か)き取らむ暇(いつま)もが旅行く我(あ)れは見つつ偲(しの)はむ
要旨 >>>
〈4325〉父も母も花であってくれればなあ。そしたら旅に出るにしても捧げ持って行こうものを。
〈4326〉父母が住んでいる母屋の裏手のももよ草、そのの名のごとく、どうか百歳までお達者で、この私が帰って来るまで。
〈4327〉我が妻をせめて絵に描き写す暇があったらなあ。長い旅路でその絵を見ながら妻をしのぶことができるのに。
鑑賞 >>>
遠江国(今の静岡県西部)の防人の歌。作者は、4325が、佐野郡(さやのこおり)の丈部黒当(はせつかべのくろまさ)、4326が同じ郡の生壬部足国(みぶべのたるくに)、4327が長下郡(ながのしものこおり)の物部古麻呂(もののべのこまろ)。
4325の「草枕」は「旅」の枕詞。「花にもがもや」の「もがも」は願望、「や」は感動の助詞。「捧ごて」は「捧げて」の方言。4326の「殿」は家の美称。「ももよ草」は未詳。「百代」は百年で、いつまでもの意。防人は20歳から60歳までの壮丁(そうてい:成年に達した男子)から選ばれましたが、まだ子供のような独り身の青年たちも多かったようです。4327の「暇(いつま)」は「いとま」の方言。「もが」は願望。