大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

天雲の行き帰りなむ・・・巻第19-4242~4244

訓読 >>>

4242
天雲(あまくも)の行き帰りなむものゆゑに思ひぞ我(あ)がする別れ悲しみ

4243
住吉(すみのえ)に斎(いつ)く祝(はふり)が神言(かむごと)と行くとも来(く)とも船は早けむ

4244
あらたまの年の緒(を)長く我(あ)が思へる子らに恋ふべき月近づきぬ

 

要旨 >>>

〈4242〉天雲のように、行ってすぐに帰ってくるものであろうに、私は物思いをすることだ、別れを悲しんで。

〈4243〉住吉神社の神官が神のお告げだとして言うことには、行きも帰りも船はすいすいと進むでしょう。

〈4244〉年久しく私がずっといとおしく思ってきた人と離れ、恋しくてならなくなるだろう、出発の日が近づいてきました。

 

鑑賞 >>>

 大納言藤原家で入唐使たちの送別の宴を開いた日の歌。「大納言藤原家」は藤原仲麻呂のこと。4242は、宴の主人の仲麻呂の歌。4243は、民部少輔(みんぶのしょうふ)多治比真人土作(たじひのまひとはにつくり)の歌。4243は、遣唐大使に任命された藤原清河(ふじわらのきよかわ)の歌。清河は仲麻呂の従兄弟にあたります。

 4242の「天雲の」は「行き帰り」の枕詞。4243の「住吉」は大阪市住吉区。ここでは海の守護神である住吉大社。「斎く」は神に仕える。「祝」は神職、神に仕える人。4244の「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の緒」は、年の長いことを緒に譬えた語。

 なお、清河は天平勝宝2年(750年)9月に遣唐大使となり、同4年3月拝朝の後に入唐、阿倍仲麻呂とともに唐朝に仕えましたが、帰国することなく、宝亀9年(778年)ころ唐国で没しました。