大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

仏前の唱歌・・・巻第8-1594

訓読 >>>

時雨(しぐれ)の雨(あめ)間(ま)なくな降りそ紅(くれなゐ)ににほへる山の散らまく惜(を)しも

 

要旨 >>>

しぐれ雨よ、そんなに絶え間なく降らないでくれ。紅に色づいた山の紅葉が散ってしまうのが惜しいではないか。

 

鑑賞 >>>

 左注に「冬十月(天平11年10月)、皇后の宮(光明皇后)の維摩講(ゆいまこう)の結願の日に、大唐・高麗等の種々の音楽を供養し、そのときこの歌を歌った。琴を弾いたのは市原王(いちはらのおおきみ)、忍坂王(おさかのおおきみ:後に姓(かばね)大原真人赤麻呂を賜わった〉、歌子(歌い手)は田口朝臣家守(たぐちのあそみやかもり)、河辺朝臣東人(かわへのあそみあずまひと)、置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)など十数人だった」旨の記載があります。

 維摩講は維摩経を講ずる法会で、光明皇后の祖父・藤原鎌足の70周忌の供養のため、皇后宮で営まれました。維摩経を講ずるのは僧侶ですが、この唱歌が琴にあわせて歌子(うたびと)の十数人によって唱われたようです。和歌が仏教にも取り入れられたという、文化的な発展が窺えます。

 「間なくな降りそ」の「な~そ」は禁止。「にほへる」は、鮮やかに色づいている。