訓読 >>>
秋田(あきた)刈る仮廬(かりほ)を作り我(わ)が居(を)れば衣手(ころもで)寒く露(つゆ)ぞ置きにける
要旨 >>>
秋の田を刈るための仮小屋を作って、私がそこにいると、着物の袖に寒く露が置いたことだ。
鑑賞 >>>
作者未詳歌。「仮廬」は仮小屋のこと。秋の収穫のため、常の住居から離れ住んで刈り入れを行っていたことが分かります。この歌は、鎌倉時代の『新古今和歌集』に「題知らず、よみ人知らず」として、
秋田守る仮廬つくりわがおれば衣手さむし露ぞ置きける
と少し変えて収められており、さらに、藤原定家による『小倉百人一首』の冒頭には、天智天皇の作として、
秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ
の歌が収められています。晩秋の農作業にいそしむ静寂な田園風景を詠んだ歌ですが、定家がこの歌の作者を天智天皇としたのには、いったいどのような判断やいきさつがあったのでしょうか。