大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(17)・・・巻第14-3572~3573

訓読 >>>

3572
何(あ)ど思(も)へか阿自久麻山(あじくまやま)の弓絃葉(ゆづるは)の含(ふふ)まる時に風吹かずかも

3573
あしひきの山葛蘿(やまかづらかげ)ましばにも得(え)がたき蘿(かげ)を置きや枯(か)らさむ

 

要旨 >>>

〈3572〉いったい何をぐずぐずしているのか、阿自久麻山のユズリハがまだ蕾(つぼみ)の時だからといって、風が吹かないなんてことがあるものか。

〈3573〉ヒカゲノカズラは滅多に得られないのに、むざむざ置きっぱなしにして枯らしてしまってよいものか。

 

鑑賞 >>>

 3572の「何ど思へか」は、何と思ってか。「あど」は「何と」の東語。「阿自久麻山」は、所在未詳。「弓絃葉」はユズリハ。春、枝先に若葉が出て、初夏、その下に小花が咲きます。「含まる時」は、葉や花がまだ開き切らないでいる時。「含(ふふ)む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語で、ここでは、女が若く幼いことの譬え。「風吹かずも」は、風が吹くのであろうか。他の男が言い寄ることの譬え。「かも」は、詠嘆の助詞。ためらっている男に、他の男が言い寄るぞと、第三者がけしかけている歌と見えます。

 3573の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山葛蘿」は、ヒゲノカズラ。常緑の草本として、古来神聖清浄なものとされ、神事に用い、また鬘(かずら)として髪飾りにも用いられました。ここでは、手に入れがたい女に譬えています。「ましばにも」の「ま」は接頭語で、めったに、しばしばもの意。「置きや枯らさむ」の「や」は反語で、置きっぱなしにして枯らそうか、枯らしはしない。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

「東歌」について