大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(6)・・・巻第15-3582~3583

訓読 >>>

3582
大船(おほふね)を荒海(あるみ)に出(い)だしいます君(きみ)障(つつ)むことなく早(はや)帰りませ

3583
真幸(まさき)くて妹(いも)が斎(いは)はば沖つ波(なみ)千重(ちへ)に立つとも障(さは)りあらめやも

 

要旨 >>>

〈3582〉大船を荒海に出して旅行きなさろうするあなた。どうか何の禍もなく、早くお帰りなさいませ。

〈3583〉あなたが無事でいてくれて、身を清めて神に祈っていてくれれば、沖の波がどれほど激しく立とうとも、旅の支障は何もない。

 

鑑賞 >>>

 3582は、妻が夫の道中の無事を祈った歌、3583は、夫がそれに答えた歌。3582の「荒海(あるみ)」は「あらうみ」の約。「います」は「行く」の敬語。「障む」は障害があること。3583の「真幸くて」は無事で。「斎ふ」は身を清めて神に祈ること。

 なお、『万葉集』には、防人歌以外には、父母が旅の無事を祈る歌はなく、都人の旅の歌は、恋人や妻と離れる辛さを詠むという共通性をもっています。父母にとってもその辛さや嘆きは同じであったはずなのに、不自然にもそれが見当たらないのは、旅の歌にあっては妻や恋人への思いを詠むものであるという共通の了解が成立していたことが分かります。それが旅の歌における美意識とされたようなのです。