訓読 >>>
593
君に恋ひ甚(いた)も術(すべ)なみ奈良山(ならやま)の小松が下に立ち嘆くかも
594
我が屋戸(やど)の夕影草(ゆふかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも
595
我が命の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には思ひ増すとも
要旨 >>>
〈593〉あなたが恋しくてどうしようもなく、私は奈良山の小松の下に立って嘆いています。
〈594〉私の家の庭の、夕暮れに見る草の白露がやがて消えてしまうように、見も心も消えてしまうほどあなたのことばかり思っています。
〈595〉私の命がある限り、どうして忘れることがあるでしょうか。日ごとに増すことはあっても、生涯かけて忘れることはありません。
鑑賞 >>>
笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った29首のうちの3首です。593の「甚も術なみ」はひどく、どうしようもなく。「奈良山」は、奈良の北の京都府に接するあたりの丘陵地。笠女郎の家はおそらく奈良山の近くにあったとみえます。その南が、大伴氏の邸があった佐保です。597に「石橋の間近き君」とありますから、二人の家はごく近かったのでしょう。「かも」は、詠嘆。この歌は独泳に近いものですが、窪田空穂は、「心も事もきわめて単純であって、単純を風とした上代の歌にあっても最も単純なものである。しかるにこの歌は、女郎の全幅をあらわしつくしている感を起こさせるもので、これを読むと、女郎のその時の状態、その時の心の全部が一体となって、躍如として現われている感を起こさせる」と述べています。
594の上3句は「消ぬがに」を導く序詞。「屋戸」は庭先。「夕影草」はここだけにしかない語で、夕日に照り映える草の意。笠郎女の造語とされ、歌人の日高堯子は、「この一語で、夕日を受けて穂や葉を光らせる草叢や、透き通った空気までが感じられる」と言っています。「もとな」は、みだりに、たまらなく。595の「全けむ限り」は、続く限り。「いや」はいよいよ、ますます。「日に異には」は日を追うごとに。596の「あにまさらじか」は、決して勝らないだろう。597の「うつせみの」は「人」の枕詞。「人目を繁み」は人目が多いので。「石橋の」は「間近き」の枕詞。
斎藤茂吉は、593・594を極めて流暢に歌いあげているとして秀歌に掲げ、笠郎女の歌について次のように言っています。「相当の才女であるが、この時代になると、歌としての修練が必要になってきているから、藤原朝あたりのものとも違って、もっと文学的にならんとしつつあるのである。しかしこれらの歌でも如何に快いものであるか、後代の歌に比べて、いまだ万葉の実質の残っていることをおもわねばならない」。
また国文学者の窪田空穂は、593について「この歌は、心も事もきわめて単純であって、単純を風とした上代の歌にあっても最も単純なものである。しかるにこの歌は、郎女の全幅をあらわしつくしている感を起こさせるもので、これを読むと、郎女のその時の状態、その時の心の全部が一体となって、躍如として現われている感を起こさせる」と言い、594については「『消ぬがにもとな念ほゆる』は、極度の感傷状態であるが、その『消』のために設けた『吾が屋戸の夕影草の白露の』は、巧緻なものである。これは序詞ではあるが、譬喩の心の濃厚なものであって、しかも『夕影草の白露』は、知性と感性との鋭敏に働いているものである。一首、ほとんど取り乱した心の表現であるが、表現に際しては十分の客観性をもたせているもので、この矛盾の統一は、一に歌才のいたすところである」と言っています。