大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

宵に逢ひて朝面無み・・・巻第1-60

訓読 >>>

宵(よひ)に逢ひて朝(あした)面(おも)無(な)み名張(なばり)にか日(け)長き妹(いも)が廬(いほ)りせりけむ

 

要旨 >>>

宵に共寝をして、翌朝恥ずかしくて会わせる顔がなく、隠(なば)ると言う、その名張で、旅に出て久しい妻は仮の宿をとったことだろうか。

 

鑑賞 >>>

 長皇子(ながのみこ)の御歌。長皇子は天武天皇の第4皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。また弓削皇子(ゆげのみこ)の異母兄にあたります。『万葉集』には5首の歌が載っています。子女には栗栖王・長田王・智努王・邑知王・智努女王・広瀬女王らがおり、また『小倉百人一首』の歌人文屋康秀とその子の文屋朝康は、それぞれ5代、6代目の子孫にあたります。

 この歌は、持統太上天皇三河行幸に際しての作で、飛鳥の都に留まった長皇子が、旅先の妻を思いやって詠んだ歌です。上2句は「名張」を導く序詞。「名張」は現在の三重県名張市で、三河国への順路にあたり、ここを東に越えると伊賀国になります。「面無み」は、面目ない、顔が合わせられず恥ずかしい。この時代、妻が夫を残して旅に出るというのは珍しいことですが、女帝の行幸には、やはり多くの女性の従駕が必要だったのでしょう。