大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

明日よりは我れは恋ひむな名欲山・・・巻第9-1778~1779

訓読 >>>

1778
明日よりは我(あ)れは恋ひむな名欲山(なほりやま)岩(いは)踏(ふ)み平(なら)し君が越え去(い)なば

1779
命(いのち)をしま幸(さき)くもがも名欲山(なほりやま)岩(いは)踏(ふ)み平(なら)しまたまたも来(こ)む

 

要旨 >>>

〈1778〉明日から、私はあなたへの恋しさがつのることでしょう。あの名欲山の岩を踏みならしながら、あなたのご一行が去ってしまわれたら。

〈1779〉命長く達者でいてほしい。そうすれば、名欲山の岩を踏みならしてまたやって来ようと思うから。

 

鑑賞 >>>

 1778は、葛井広成(ふじいのひろなり)が遷任して京に上る時に、娘子が贈った歌。送別の宴での挨拶の歌とみられています。「娘子」は九州の女性で、遊行女婦だったかもしれません。1779は広成が答えた歌。葛井広成は渡来人系で、はじめ白猪史(しらいのふびと)を称し、後に葛井連の氏姓をあたえられ、備後守などをつとめ、中務少輔(なかつかさのしょう)となった人です。

 1778の「名欲山」は、大分県竹田市の木原山(きばるやま)か。「恋ひむな」の「む」は推量、「な」は詠嘆の助詞。「岩踏み平し」は、岩を踏んで平らにして。踏みつけての意を強調した表現。1779の「命をし」の「し」は、強意。「幸くもがも」の「もがも」は、願望の助詞。