大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(7)・・・巻第15-3591~3594

訓読 >>>

3591
妹(いも)とありし時はあれども別れては衣手(ころもで)寒きものにそありける

3592
海原(うなはら)に浮寝(うきね)せむ夜(よ)は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに

3593
大伴(おほとも)の御津(みつ)に船乗(ふなの)り漕ぎ出(で)てはいづれの島に廬(いほ)りせむ我(わ)れ

3594
潮(しほ)待つとありける船を知らずして悔(くや)しく妹(いも)を別れ来(き)にけり

 

要旨 >>>

〈3591〉妻と一緒に寝ていたときでも寒いときはあったけれど、別れて来てみると、衣の袖口がこんなに寒いものとは、今まで気づかなかった。

〈3592〉海原に船を浮かべて仮寝をする夜には、沖の風よ、あまりひどくは吹かないでくれ、いとしい妻も傍にいないのだから。

〈3593〉難波の港で船に乗り込み、沖へ漕ぎ出てしまったら、どこのどんな島で仮の宿りをすることになるのだろうか、我らは。

〈3594〉船は潮を待って停泊していると知らないで、あわてて妻と別れてきてしまったのが悔しい。

 

鑑賞 >>>

 難波の港からの出航に臨んで作った歌。3591の「衣手寒き」は、実際の出立は夏でしたから、ここでは独り寝の寂しさを表す歌語となっています。3592の「浮寝」は海上の船中で寝ること。3593の「大伴の御津」は難波の港のこと。「大伴」は大阪市住吉区を中心とした地域。3594の「潮待つ」は船出に適した潮の加減を待つことで、ひと月の間では新月または満月の時が最適とされました。

 これら遣新羅使人らの歌に特徴的なことの一つが、望郷の念、すなわち妻への思慕が基調となっており、外交使節団としての使命感や、前途を思って勇躍しているといった性質の歌がまったく見られないことです。