大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(12)・・・巻第15-3615~3616

訓読 >>>

3615
我(わ)がゆゑに妹(いも)嘆くらし風早(かざはや)の浦の沖辺(おきへ)に霧(きり)たなびけり

3616
沖つ風いたく吹きせば我妹子(わぎもこ)が嘆きの霧に飽(あ)かましものを

 

要旨 >>>

〈3615〉私のために彼女が溜息をついているらしい。ここ風早の浦の沖に霧が一面に立ち込めているのを見ると。

〈3616〉沖からの風が激しく吹いてくれたなら、彼女の嘆きの霧がただよってきて、心ゆくまで包まれていられるものを。

 

鑑賞 >>>

 風早の浦に停泊した夜に作った歌で、同じ作者の連作とされます。「風早」は、東広島市安芸津町の西部あたりの海岸。3615の「嘆くらし」の「らし」は強い推量で、妻のつく溜息を霧に見立てています。3616の「沖つ風」は、沖の風。「いたく」は、激しく。「嘆きの霧」は、嘆きの息が化した霧のこと。当時、激しい嘆きの息は霧となって渡っていくと信じられていました。「飽く」は、堪能する意。「まし」は「せば」の帰結。この歌の作者は、3580で出発前に「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ」と詠んだ妻の夫であり、その歌を思い出したのかもしれません。