訓読 >>>
3610
安胡(あご)の浦に舟乗りすらむ娘子(をとめ)らが赤裳(あかも)の裾(すそ)に潮(しほ)満つらむか
3611
大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き海原(うなはら)を漕ぎ出て渡る月人壮士(つきひとをとこ)
3612
あをによし奈良の都に行く人もがも 草枕(くさまくら)旅行く船の泊(とま)り告(つ)げむに
3613
海原(うなはら)を八十島(やそしま)隠(がく)り来(き)ぬれども奈良の都は忘れかねつも
3614
帰るさに妹(いも)に見せむにわたつみの沖つ白玉(しらたま)拾(ひり)ひて行かな
要旨 >>>
〈3610〉安胡の浦で舟遊びをしている乙女たちの赤裳の裾が濡れているが、今しも潮が満ちてきたようだ。
〈3611〉大船に多くの櫂を取りつけて、海原を漕ぎ出して夜空を渡っていく月の若者よ。
〈3612〉あの懐かしい奈良の都へ行く人がいてほしい。そしたら、苦しい船旅の泊まりどころを知らせることができるのに。
〈3613〉海原を、多くの島々の間を縫いながらはるばるやってきたけれど、奈良の都は忘れようにも忘れられない。
〈3614〉帰った時に愛しい妻に見せたいから、海の沖で取れる真珠を拾っていきたい。
鑑賞 >>>
3610~3611は、前に続き、題詞に「所にありて誦詠(しょうえい)する古歌」とある歌群のなかの2首。3610は、3606~3609と同様に人麻呂の歌(巻第1-40)を変化させて作っています。「安胡の浦」は、所在未詳。3611は、左注に七夕を詠んだ人麻呂の歌とあるものの、巻第10にある『人麻呂歌集』の七夕の歌38首の中には見えません。「真楫」の「真」は接頭語で、船を漕ぐための道具の総称。「しじ貫き」は、たくさん取り付けて。「月人壮士」は、月を擬人化した語。
3612~3614は、備後国の水調郡(みつきのこおり)長井の浦(広島県三原市糸崎の海岸)に停泊した夜に作った歌。3612は、大判官(副使の次の位)壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)が作った旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。「あをによし」「草枕」はそれぞれ「奈良」「旅」の枕詞。「もがも」は、願望。3613の「八十島隠り」は、多くの島の陰に隠れながら。3614の「帰るさ」は、帰る時。「わたつみ」は、海の神で、海を神格化した表現。「拾ひ(ひりひ)」は「ひろう」の古語。「行かな」の「な」は、願望。
⇒ 各巻の概要