大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(13)・・・巻第15-3627~3629

訓読 >>>

3627
朝されば 妹(いも)が手にまく 鏡なす 御津(みつ)の浜(はま)びに 大船(おほぶね)に 真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き 韓国(からくに)に 渡り行かむと 直(ただ)向かふ 敏馬(みぬめ)をさして 潮(しほ)待ちて 水脈引(みをび)き行けば 沖辺(おきへ)には 白波高み 浦廻(うらみ)より 漕(こ)ぎて渡れば 我妹子(わぎもこ)に 淡路(あはぢ)の島は 夕(ゆふ)されば 雲居(くもゐ)隠(かく)りぬ さ夜(よ)ふけて 行くへを知らに 我(あ)が心 明石(あかし)の浦に 船 泊(と)めて 浮き寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁(いざ)りする 海人(あま)の娘子(をとめ)は 小舟(をぶね)乗り つららに浮けり 暁(あかとき)の 潮(しほ)満ち来(く)れば 葦辺(あしべ)には 鶴(たづ)鳴き渡る 朝なぎに 船出(ふなで)をせむと 船人(ふなびと)も 水手(かこ)も声呼び にほ鳥(どり)の なづさひ行けば 家島(いへしま)は 雲居(くもゐ)に見えぬ 我(あ)が思(も)へる 心 和(な)ぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我(わ)が行けば 沖つ波 高く立ち来(き)ぬ 外(よそ)のみに 見つつ過ぎ行き 玉(たま)の浦に 船をとどめて 浜びより 浦磯(うらいそ)を見つつ 泣く子なす 音(ね)のみし泣かゆ わたつみの 手巻(たまき)の玉を 家(いへ)づとに 妹(いも)に遣(や)らむと 拾(ひり)ひ取り 袖(そで)には入れて 帰し遣(や)る 使ひなければ 持てれども 験(しるし)をなみと また置きつるかも

3628
玉の浦の沖つ白玉(しらたま)拾(ひり)へれどまたぞ置きつる見る人をなみ

3629
秋さらば我(わ)が船(ふね)泊(は)てむ忘れ貝寄せ来て置けれ沖つ白波

 

要旨 >>>

〈3627〉朝になると、妻が手に持つ鏡のように、その鏡を見るという御津の浜辺で、大船に多くの櫂を取り付け、遠い韓国(からくに)に渡っていこうと、真向かいの敏馬を目指し潮目を待って航路を進んでいく。沖の方には白波が高く立っているので、浦伝いに漕ぎ進んでいくと、愛しい彼女に逢うという淡路の島は、夕方になって雲の彼方に隠れてしまった。夜も更けてきて行く先も分からなくなったので、我が心は明るいという名の明石の浦に船を停めて、波の上に浮き寝をしながら沖の方を見ると、漁をする海人娘子たちが小舟に乗り、連なって浮かんでいた。そのうちに明け方の潮が満ちてくると、葦辺に鶴が鳴き渡っていく。朝なぎの内に船出をしようと、船長(ふなおさ)も水手(かこ)たちも声を掛け合わせ、かいつぶりのように波にもまれて行くと、なつかしげな名の家島が雲の彼方に見えてきた。この家恋しい心もなごむかと、早く行ってみたいと我らは大船を漕ぎ進めたが、あいにく沖から高波がやってきて、やむなく遠くから見るしかなかった。玉の浦に船を停めてその浜辺から家島の浦や磯をはるかに見ていると、泣く子供のようにおいおいと泣けてくる。せめて海神が腕飾りにするという玉を家のみやげに彼女に届けようと、玉の浦で拾って袖に入れてみたものの、都に届ける使いもないので、持っている甲斐がないとまた元通りに置いてきてしまった 。

〈3628〉玉の浦の海底の真珠をせっかく拾ったが、また戻して置いた。それを見てくれる人もいないので。

〈3629〉秋になれば、我らの乗る船がまたこの浦にやってきて停泊するだろう。その時は忘れ貝を寄せてきてほしい、沖の白波よ。

 

鑑賞 >>>

 その所々で誦詠した古歌のうち、物に寄せて思いを述べた長歌と短歌。3627の「妹が手にまく鏡なす」は「御津」を導く序詞。「御津」は、難波の港。「韓国」は、新羅。「直向かふ」は、真正面に向き合う。「敏馬」は、神戸市灘区岩屋付近。「水脈引き」は、航跡を残して。「我が心」は「明石」の枕詞。「我妹子に」は「淡路」の枕詞。「漁り」は、漁をすること。「つららに」は、連なって。「船人」は、船頭。「水手も声呼び」は、船乗りたちが声をそろえて漕ぐ様子。「にほ鳥の」は「なづさふ」の枕詞。「なづさふ」は、水に浮かんで漂う。「家島」は、姫路沖の家島群島。「外のみに」は、遠くからのみ。「玉の浦」は、岡山県玉野市玉または倉敷市玉島。「泣く子なす」は「音」の枕詞。「音のみ泣く」は、声を出して泣く。「家づと」は、家へのみやげ。「験をなみと」は、甲斐がないと思って。

 3628の「白玉」は、真珠。「見る人をなみ」は、見る人がいないので。拾った真珠を見せるべき妻がいないので、また元に戻したと言っています。お土産にしようとしなかったのは、無事に帰れないかもしれないとの覚悟があったのかもしれません。3629は、約束の秋の帰途を詠んだ歌。「忘れ貝」は、二枚貝の片方、またはそれと似た一枚貝。恋しい思いを忘れさせてくれるという貝。「置けれ」は「置けり」の命令形。

 ここの長歌について窪田空穂は、「この集にあっても長歌の作者は、さして多くはなく、それも時代が降るに従って次第に数が減って、この歌の詠まれた奈良朝時代には、数えるほどの人しかなかったのである。その間にあって、遣新羅国使の随行の人の中に、長歌形式をもってこれだけの量のある歌を詠む人のあったのは、異とするに足りることである」と述べています。

 

『万葉集』の年表