訓読 >>>
3617
石走(いはばし)る滝(たき)もとどろに鳴く蝉(せみ)の声をし聞けば都し思ほゆ
3618
山川(やまがは)の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
3619
礒(いそ)の間ゆたぎつ山川(やまがは)絶えずあらばまたも相(あひ)見む秋かたまけて
3620
恋(こひ)繁(しげ)み慰(なぐさ)めかねてひぐらしの鳴く島蔭(しまかげ)に廬(いほ)りするかも
3621
我(わ)が命を長門(ながと)の島の小松原(こまつばら)幾代(いくよ)を経てか神(かむ)さびわたる
要旨 >>>
〈3617〉岩にとどろく激しい流れのように、しきりに鳴き立てる蝉の声を聞くと、都が恋しく思われる。
〈3618〉山あいの清らかな川瀬で遊んでみたけれど、奈良の都はどうしても忘れることができない。
〈3619〉岸辺の岩の間を激しく流れる谷川が絶えないように無事でいられたら、また重ねて相見えよう、秋になって。
〈3620〉故郷の妻恋しさに気が晴らせないまま、ひぐらしが鳴くこの島陰で仮の宿りをしている。
〈3621〉我が命よ長かれと願う、長門の島の松原は、いったい幾代を経てあのように神々しくあり続けているのだろう。
鑑賞 >>>
安芸国の長門の島の磯辺に停泊して作った歌。「長門の島」は、呉市の南の倉橋島。3617の「とどろに」は、高く鳴る意の副詞。「声をし」「都し」の「し」は、強意。「思ほゆ」は、思われる。3618の「山川」は山にある川で、上の歌の「石走る滝」と同じ流れと見られます。「遊べども」とあるので、酒宴を設けたものかもしれません。3619の「間ゆ」の「ゆ」は、~を通って。「かたまく」は、季節や時期を待ち望む意。この時は秋に帰朝できるとの予定でした。3620の「廬りするかも」の「かも」は、詠嘆。3621の「我が命を」は「長門」の枕詞。「神さびわたる」は、年を経て神々しくなる。