大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

沖辺行き辺を行き今や妹がため・・・巻第4-625

訓読 >>>

沖辺(おきへ)行き辺(へ)を行き今や妹(いも)がため我(わ)が漁(すなど)れる藻臥束鮒(もふしつかぶな)

 

要旨 >>>

沖に行ったり、岸辺に戻ったりして、今ようやくあなたのために捕まえた、藻の中の小さな鮒です。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「高安王(たかやすのおおきみ)が、包んだ鮒を娘子に贈った歌」とあります。高安王は、敏達天皇の孫である百済王の後裔とされ、後に大原真人姓を与えられ臣籍降下しました。和銅6年(713年)に従五位下。弟に風流侍従として知られる門部王・桜井王、娘に高田女王がいます。

 「藻臥束鮒(もふしつかぶな)」は、藻の中に潜むこぶしの幅の長さほどの小さな鮒のこと。岸の深い所から浅い所まで方々歩いて、ものすごく苦労して獲ったように言いながら、実はそれは束鮒のごときちっぽけな鮒であり、明るく楽しい歌になっています。斎藤茂吉も「結句の造語がおもしろい」と言っています。もっとも、高安王自らが鮒を捕ったというわけではなく、家来が捕ってきたものを、いかにも自分が捕ったんだと、言葉を添えて贈ったものでしょう。

 

 

旧仮名の発音について


 家を「いへ」、今日を「けふ」、泥鰌を「どぜう」などの旧仮名は、そのように表記するだけであって、発音は別だったと思われがちですが、近世以前にあっては、その文字通りに「いへ」「けふ」「どぜう」と発音していました。

 ただし、その発音は、今の私たちが文字から認識するのと全く同一ではなく、たとえば「は行音」の「は・ひ・ふ・へ・ほ」は「ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ」に近かったとされます。だから、母は「ふぁふぁ」であり、人は「ふぃと」です。「あ・い・う・え・お」の5母音にしても、「い・え・お」に近い母音が3つあったといいます。

 また、万葉仮名として当てられた漢字では、雪は由伎・由吉・遊吉などと書かれているのに対し、月は都紀・都奇などとなっており、同じ「き」なのに、月には「吉」が使われていません。そのように書き分けたのは、「き」の発音が異なっていたからだろうといわれています。