訓読 >>>
春草(はるくさ)を馬(うま)咋山(くひやま)ゆ越え来(く)なる雁(かり)の使(つか)ひは宿(やど)り過ぐなり
要旨 >>>
春の草を馬が食う、その咋山(くいやま)を越えてやってきた雁の使いは、何の伝言も持たず、この旅の宿りを通り過ぎていくようだ。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から「泉河の辺(ほとり)にて作れる歌」。「泉河」は木津川。「春草を馬」は「咋山」を導く序詞。「咋山」は、京田辺市飯岡の丘。「ゆ」は、経過地点を表す語。「使ひ」は、他所へ出かけて行き伝言したりすること、また、その人。「雁の使ひ」は、漢の蘇武(そぶ)が匈奴(きょうど)に捕らえられた時、雁の足に手紙を付けて故郷に送ったという『漢書』蘇武伝の故事を踏まえた表現で、『万葉集』中に何例か見られます。
泉河を見て旅愁に触れた歌であり、国文学者の窪田空穂は「具象が巧みで、『春草を馬咋山』と続けた序詞は奇抜なものにみえるが、当時の旅行には馬は離されぬ付き物であったから、連想しやすかったとみえる」と言っています。
『万葉集』以前の歌集
■「古歌集」または「古集」
これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。
■「柿本人麻呂歌集」
人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。
■「類聚歌林(るいじゅうかりん)」
山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。
■「笠金村歌集」
おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。
■「高橋虫麻呂歌集」
おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。
■「田辺福麻呂歌集」
おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。