大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

天の海に月の舟浮け・・・巻第10-2223

訓読 >>>

天(あめ)の海に月の舟(ふね)浮(う)け桂楫(かつらかぢ)懸(か)けて漕(こ)ぐ見ゆ月人壮士(つきひとをとこ)

 

要旨 >>>

夜空の海に月の舟を浮かべ、桂で作った楫を取り付けて漕いでいるのが見える、月の若者が。

 

鑑賞 >>>

 「月を詠む」歌。「月の舟」は漢語に由来する表現。「桂楫」も、月には桂の大木が生えているという中国の伝説に基づく語で、桂の木で作った楫。「月人壮士」は、月を若い男に譬えた語。巻第7の冒頭にある『柿本人麻呂歌集』からの「天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ」の歌と同想です。

 なお、現代の私たちにもお馴染みの月見の風習は、中国盛唐の時代に起こり、日本に伝わったのは平安期になってからです。万葉時代には、月は神秘の対象だったのです。

 

作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。