大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

年月は流るるごとし・・・巻第5-804~805

訓読 >>>

804
世の中の すべなきものは 年月(としつき)は 流るるごとし とり続(つつ)き 追ひ来るものは 百種(ももくさ)に せめ寄り来(きた)る 娘子(をとめ)らが 娘子さびすと 韓玉(からたま)を 手本(たもと)に巻(ま)かし〈或いはこの句有り、白(しろ)たへの 袖振りかはし 紅(くれない)の 赤裳裾引(あかもすそび)き と云ふ〉 よち子らと 手 携(たずさ)はりて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過(すぐ)しやりつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 何時(いつ)の間(ま)か 霜の降りけむ 紅(くれなゐ)の〈一には、丹(に)のほなす と云ふ〉 面(おもて)の上に いづくゆか 皺(しわ)が来(きた)りし〈一には、常(つね)なりし 笑(え)まひ眉引(まよび)き 咲く花の 移ろひにけり 世の中は かくのみならし と云ふ〉 ますらをの 男子(をとこ)さびすと 剣大刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き さつ弓を 手握(たにぎ)り持て 赤駒(あかごま)に 倭文鞍(しつくら)うち置き 這(は)ひ乗りて 遊び歩きし 世の中や 常にありける 娘子(おとめ)らが さ寝(な)す板戸(いたと)を 押し開き い辿(たど)り寄りて 真玉手(またまで)の 玉手(たまて)さし交(か)へ さ寝(ね)し夜(よ)の いくだもあらねば 手束杖(たつかづゑ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎(にく)まえ 老(お)よし男(を)は かくのみならし たまきはる 命(いのち)惜しけど 為(せ)むすべもなし

805
常磐(ときは)なすかくしもがもと思へども世の事なれば留(とど)みかねつも

 

要旨 >>>

〈804〉この世の中でどうにもならないことは、年月は遠慮なく流れ去り年を取ること、それにつれて迫ってくる様々な苦しみである。娘子(をとめ)が娘子らしく舶来の玉を手首に巻いて(あるいは真っ白な袖を振り交わし、真っ赤な裳裾を引きずって)、同じ年ごろの子らと手を携えて遊んでいたのに、娘盛りを留められずにやり過ごしてしまうと、黒かった髪にいつの間にか白髪がまじってきて、ほの紅かった(真っ赤な土のようだった)顔にはどこからか皺が寄ってくる。(変わりなかった眉引きの笑顔も、咲く花のように消えてしまった。世の中というのはこんなものなのだろう)。また、勇ましい若者がいかにも男らしく剣太刀を腰に帯び、狩弓を手に握りしめ、馬に和風模様を織り出した鞍を置いき、乗って遊び回った、そんな楽しい時はいつまで続いただろうか。娘子の寝ている板戸を押し開いて探り寄り、真珠のような白い腕を交わして共寝した夜はいくらもなかったのに、いつの間にか杖を握りしめて、腰にあてがい、よぼよぼとあちらに行けば人に嫌がられ、こちらに行けば人に憎まれる。老いれば人はこんなものらしい。命は惜しいけれど、施す手だてはない。

〈805〉岩のように永遠不変でありたいと思うけれども、老いや死は世の常であるから、留めようにも留めようがない。

 

鑑賞 >>>

 大宰府時代の山上憶良が69歳ごろに作った「世間の往(とどま)り難きを哀(かな)しびたる歌」。前文には「集まりやすく払いにくいものは八つの大きな苦しみであり、成し遂げにくく尽きやすいものは人生の楽しみだ。これは古人が嘆いたところで、今日でも同じことだ。そういう次第で、一篇の歌を作って、白髪が日々増えていく老いの嘆きを払いのけようと思う」とあります。憶良のいう「八つの大きな苦しみ」とは、涅槃経にいう、生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛の八苦とされます。

 高齢者が日常的に口にする、老いと病の辛さを歌った万葉歌人は、山上憶良ただ一人です。老・病・死を歌い、漢詩や漢文を書くなど、老齢を迎えてよほど悩んだのか、それとも後悔しきれないほどの大きな未練があったのでしょうか。

 804の「蜷の腸」「たまきはる」は、それぞれ「黒」「命」の枕詞。「よち子」は同年輩の子。「さつ弓」は狩りに用いる弓。「倭文」は日本古来の織物。「真玉手」は手の美称。「手束杖」は手で握る杖。805の「常磐」は、いつまでも変わらない大きな岩石。「かくしもがも」は、このようでありたい。