大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(20)・・・巻第15-3644~3647

訓読 >>>

3644
大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み大船(おほぶね)の行きのまにまに宿りするかも

3645
我妹子(わぎもこ)は早も来(こ)ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして

3646
浦廻(うらみ)より漕ぎ来(こ)し船を風(かぜ)早(はや)み沖つ御浦(みうら)に宿りするかも

3647
我妹子(わぎもこ)がいかに思へかぬばたまの一夜(ひとよ)もおちず夢(いめ)にし見ゆる

 

要旨 >>>

〈3644〉帝の仰せを恐れ畏み、大船の漂い行くのにまかせ、旅の宿りをしていることだ。

〈3645〉愛しい妻は、早く帰ってこないかと待っているだろうに、長く沖合にとどまり続けなければならないのか、家から遠く離れたまま。

〈3646〉浦伝い漕いで来た船であるのに、風が激しくて、遠く離れた沖合で夜を過ごすというのか。

〈3647〉愛しい妻が、どう思ってか、毎晩毎晩夢に現れる。

 

鑑賞 >>>

 佐婆(さば)の海でにわかに暴風にあい、南方に流されて豊前国大分県)の沖合に流れ着いた時の歌。「佐婆の海」は、周防灘。本来なら本州の海岸沿いに西へ行くのですが、九州の大分県の中津まで流されたのでした。3644の「大君の命畏み」は、天皇の仰せを承って。国民が国事に服するときに強くその身を意識して用いた成句。「行きのまにまに」は、行くがままに。「かも」は、詠嘆。3645の「早も来ぬか」の「も~ぬか」は、願望。「沖にや住まむ」の「や~む」は、こんなにも~していることか。「家つかずして」は、家に近づかないで。3646の「浦廻」は、海岸が湾曲して入り組んだところ。「沖つ御浦」は他に例のない難解な語ながら、続きから見て、漂流して夜を明かした海上のことか。3647の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「おちず」は、漏れずに。相手がこちらを思っていると夢に見えるという信仰の上に立っての歌です。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について