訓読 >>>
2110
人(ひと)皆(みな)は萩(はぎ)を秋と言ふよし我(わ)れは尾花(をばな)が末(うれ)を秋とは言はむ
2111
玉梓(たまづさ)の君が使ひの手折(たを)り来(け)るこの秋萩は見れど飽(あ)かぬかも
2112
我(わ)がやどに咲ける秋萩(あきはぎ)常(つね)ならば我(あ)が待つ人に見せましものを
要旨 >>>
〈2110〉人は皆、萩が秋を代表する花だと言う。ままよ、私は、秋の花は尾花だと言おう。
〈2111〉あなたの寄こしたお使いが手折ってきてくれたこの秋萩は、見ても見ても見飽きることがありません。
〈2112〉わが家の庭に咲いている萩の花が、いつまでも散らないものであったら、私が待っている人に見せてあげられるのだけど。
鑑賞 >>>
「花を詠む」歌。2110の「よし」は、ままよ。「尾花」は、ススキのこと。ススキを詠んだ歌は、萩を詠んだ140首を越える数には及びませんが、合計46首あります。
2111の「玉梓の」は、古く便りを伝える使者が、梓(あずさ)の枝を持ち、これに手紙を結びつけて運んでいたことから、「使ひ」に掛かる枕詞。また、妹へやることから「妹」にも掛かります。使いの者が、途中で美しい萩を見かけ、手折って添えたもので、君の使いの持ってきた萩であるからこそ、特別に美しいと言っています。使いへの返事に書き添えた歌とみられます。萩は男が持って行くように言ったのかもしれません。それでも、どの萩を折るかは使いに任されているわけで、使いのセンスに委ねられています。あるいは萩を手折って添えること自体が使いの意志だったかもしれません。いずれにせよ使いの裁量に委ねられており、使いはそれだけ信用され、また男の意志や思いがよりよく女に伝わるように務めたのです。
2112の「やど」は、家の敷地、庭先。「常ならば」は、長く咲き続けているものならば。夏から秋にかけて咲く赤紫色の萩の花は、古くから日本人に愛され、『万葉集』には141首もの萩を詠んだ歌が収められています。名前の由来は、毎年よく芽吹くことから「生え木」と呼ばれ、それが「ハギ」に変化したといわれます。